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2008年03月25日
人身御供と公開処刑
最も任務の完遂が困難な拝命です。よほどの覚悟を必要とします。ですから、皇族や王族が担うのです。
これを一女性にすること、中森明菜様の事例がありますね、そのお辛さを、どうか、お察しください。
さあ!聡明な皆さまは、もう、任務をご理解されたことと思います。
あの、稀有な歌姫を、礼と敬意を持ってお招きいただきますよう、お願い申上げます。
また、ご自分の周りで、一人の人に集中攻撃をするような行為が行われていたとしたら、集中攻撃をする人々に誠意をもって、やめることを提案なさってください。
その結果、集中砲火を浴びることは、とても怖いことですが、その行為によって、一人の人が救われたなら、あなたは、宇宙から、正しく評価され、試練の中にも喜びを見出すことの出来る、高い人格を与えられていくでしょう。
どうか、勇気をだして、弱い立場の人々のお気持ちをお察しいたしましょう。
2008年03月25日
事実の湮滅をする者について
誠に恥ずかしいことに、事実を湮滅する者が、何と私の属する、このeしずおかブログにおりました。一女子アナウンサーのしたことと、どうかご容赦くださいませ。私に免じて、氏名の公表をご容赦いただきたく存じます。この者が、支持者を持つこと、誠に恥ずかしく、お詫び申上げます。どうか、よろしくお願い申上げますようお願い申上げます。
2008年03月25日
2008年03月25日
2008年03月25日
心身を甘やかさないこと
チビ孫というのは、ようちゃん、つくっただけん、姉ちゃんの孫だだよ。姉ちゃんは、ようちゃんの五つ上だけん、元気だだよ。ようちゃん、この歳(聴かないでほしいだけん)まさか、チビ孫もつたあ、思わなかっただよ。嬉しいけん、ちっと、困っただよ。孫持ちでも、嫁いけるだか?だけん、ようちゃんち、みんな、そうだだよ。みんな若いだよ。梅干し好きだだよ、ラッキョウ好きだだよ、お茶ん好きだだよ、ご飯しか食べないだだよ。田舎もんでごめんけね。落差あっただか?
2008年03月24日
師・下積長子様のこと
最後に、我が師・下積長子については、ケータイ大喜利・着信御礼をご覧いただきたく存じます。
タグ :下積長子
2008年03月24日
旗頭と旗印のお話
このことから、お解りいただけるように、本来、「しるし」とは、人の首から上の部分を指し(だから頭という字を当てます)、昔の人々は、みだりに口にされませんでした。
現代は、「しるし」の意味を履き違え、言の葉(ことのは)を使わせていただくことの恐ろしさを、すっかり、忘れてしまった人々のみのように思われます。
日本人が、言霊(ことだま)のお力を、自身の努力をすることなく、いただいたということは、これまでなかったことなので、この報いの訪れが、どのようにもたらされるのか、私は、静かに見守らせていただきます。
言霊を、自分の利益にお使いさせていただいて、平気では、すでに日本人の形をした米兵です。私は静観することで、研究の助けとさせていただきます。
2008年03月24日
保身考
本来、「束ね」とは一筋となって(一丸ではありません)お役目に励む者の代表で、共に職務に励む者の誰ひとりも残さず(見捨てるとか切り捨てるとか、考えもつかず)、引き連れて、お役目を果たしたご報告をさしあげ、お役目を賜ったご恩に報いるものです。
今、タクシー運転手様を殺害し、逮捕された米兵の絶望感を思うと、「またか」との、はしたない司令官の出現に怒りを覚えます。都合が悪くなると、自分に罪をかぶせて逃げる司令官のもとでは、いつ、生け贄にされるかもしれない恐怖で、正常な判断を求めるのはかわいそうではないでしょうか?
あの、世界大戦下において、傷ついた米兵をいたわっておられた方々の血を引く者として、米国の司令官の無慈悲さは、なにも反省せず、成長しない愚かな「保身」の典型の事例として、歴史に刻まれる不名誉を潔く、お受けいただく他にないようです。
世界一、アメリカンドリームの、雑で野暮で見るに耐えない真実を、私は、この地で確かに拝見し、今後の研究のために必ず、有効に利用させていただきます。
タグ :なんか、かわいそう
2008年03月23日
原型(オリジナル)を確かめること
私もそのひとりとして、大学で小論文を作成するときも、写真を撮らせていただくときもその都度「完成度の高い作品を作る」ことのみを目指しました。完成度の高さを生涯求め続けることを決意し、いつか独自のものを生み出すこと、この目標を心に持つ私は、学ぶことが楽しくてなりません。
そのためには、当然、先人の遺された尊い(貴い)お仕事の中でも、原型(オリジナル)をお作りになられた方の作品を自分の目で拝見することが大切です。大学の哲学科で学んだ私は、ギリシャ悲劇を読み、日本人との発想の違いを発見し、興味深く思いました。
さて、今、TOKIOの皆様による「メントレ・ザ・ジャイアント(通称メントレGでよろしかったですよね?)」を拝見して、偶然にも、間違った原型の探し方の典型に出会うことができ、大変、感謝しております。原型を探す前提として、それは、善なるものから発し、尊い(貴い)ものを求め続ける姿勢からの、探求でありたい、ということです。
さて、皆様お馴染みの志村ケン様が、自分の道に邁進されるあまりに、ご自分とご縁のあられた一女性の立ち居振る舞いを、原型とした「ひとみばあさん(せめて、おばあさまでありたいですね)」という、秀逸なギャグを作られた、そのお話を自らお話しくださいました。
この無礼なギャグを作られた、志村ケン様は、絶対にご成功されたい、その思いで、頑張られ過ぎて、掛け違いに気付く心の余裕さえ、失われた、そう考えたとき、後進をお育てになられる方々の猛省を、是非、お願いしたく存じます。
この方のお仕事ぶりを拝見するとき、温かくお育てくださる師匠に恵まれてさえおられたら、と思わずにいられないのです。私も、大学時代、高円寺の下宿にお世話になっていたとき、毎夜、身体が鈍らないために環状七号線を走っていたご縁を発見し、心から残念です。加えて、真面目な亡き父に言われて(ギャグであれ何であれ、人々に喜ばれるものには敬意を表する人でした)、町内会の盆踊り大会のために、東村山音頭の原曲をレコードから、カセットテープに録音しましたので、原曲をお聴きする機会に恵まれて、同じ茶所(埼玉県狭山市は私の住まう静岡県と同じく、お茶の産地です)のお唄を拝聴し、その伸びやかさを嬉しく思いました。
この方の才能を正しく開花させようと、お鍛えくださる師匠との出会いがなかった、出発点に置ける明暗が、この稀有な才能の持ち主の今を決めたのです。実に残念です。石野陽子様との、先ほどお食べになられたお食事をお忘れになられるご老人の表現は、秀逸でしたし。
志村ケン様、これから後進の御指導に当たられるとき、ご自分が巡り会いたかった、とお思いになられる師匠として、若い方々をお育てくださることをお願い申上げたく存じます。
本日は、一観賞者の私に、大変、勉強させていただき、ありがとうございました。
タグ :先輩への敬意
2008年03月22日
目上の方々を敬うということ
私は、まず、自分がしてさしあげられることはないか、をお尋ねし、それをさせていただいたあとで、お願いを申し上げます。
韓国のドラマが、日本においてとても好まれているのは、目上の方々に礼をもって接する、若者の姿がすがすがしいからだと私は思うのです。
どのような方であれ、尊敬に値しない方などおられません。
目上の方々は、ただ、いらっしゃる、それだけで、ありがたい方々なのです。
この方々を敬い、礼をもって接する姿勢をもたれ、自分をひけらかすことを嫌い、お手本をお見せになどなられない、そのたたずまいの素晴らしさを学んでください。
お年寄りは、智恵をお教えいただく、大切な方々です。この方々を敬えないようでは、何も成せないでしょう。
まず、ご自分の一番大切なものを差し上げて、それから、お願いをすること、これは、たしなみです。こういった、譲ることの大切さを、目上の方々から学ばないのは、大変恥ずかしいことです。
口答えをするなどという、空恐ろしいことはやめ、お父上、お母上を大切にいたわり、何をしてさしあげられるのかをお考えください。
お亡くなりになられてからでは、何もして差し上げられません。お育ていただいたご恩は、一生かけても返しきれないことに気づかれ、どうか、目上の方々に、礼をもって接してください。
タグ :感謝
2008年03月21日
自分でお金を用意してから、いただくということ
ですから、静岡市による社会人大学である、静岡ヒューマンカレッジ3期生の折に、同期生のおひとりが、おっしゃられた言葉を耳にして、非常に驚きました。
ヒューマンカレッジ1期生の先輩が店主である、コンブレというカクテルなどのワンショットをいただける、その店で、その同期生と私、そして先輩の、ライターの女性の三人で、何かの作業のあとで、お酒でも、ということで、そこに居合わせたのです。
私は、常に手元不如意の身でしたから、このコンブレにおいて、低料金でお酒をいただく方法を、店主ご自身にご教授いただき、スコッチのボトルをキープしていただいておりました。
三人で、お酒をいただいたあと、帰り際に、私がいただいたスコッチが、私のボトルだと気付いて、同期生が、こう言いました。
「さっきのボトル、洋子さんのだったんだ。貰えば良かった。」と。
私は、耳を疑いました。一部上場企業のエンジニアの発言でしたので。
このとき、人様からお金をいただいておられると、だんだん、当たり前のことが、当たり前と解らなくなられるのだな、とお気の毒に思いました。恐らく、上司の方と同席した折に、只酒の味を知ったのが、いけなかったのだと思います。
その同期生は、その他の場面では、それほど、欠落した人ではなかったので、「すまじきものは、宮づかえ」とは、こういうことを言うのだと、思い、とても残念でした。
2008年03月21日
お祀(まつ)りさせていただく方々と宿られておられる方々のこと
神様のことは、ご専門の方々による良書をご覧いただいて、私は、宿られておられる方々を大切に思い、敬うお気持ちを持たれることをお勧めします。
鎮守の森というものを守ることは、その集落の人々には、昔から受け継がれてきた、ごく自然なおこないでした。
「授業仏教」で知られる梅原猛氏のお考えのなかに、「これまでの一神教的価値観から、多神教的価値観へと、変えていく方が良い」というご主張がお有りですが、正に同感です。
いろいろな立場や、考えを持つ人々が、お互いを否定しあうことから離れて、お互いに、敬いあい、学びあうことは、とても大切だと思います。
一神教と多神教の誕生した土地の違いを考えるとき、私はそういう考え方をしませんが、「目には目を」などといった、苛烈な宗教観が育まれたことは、理解できます。ところで、先ほどの「目には目を」の本来の意味は、「目を奪った相手に対しては、殺したいほど憎くても、目だけを奪いなさい」という、自分がされた以上のことをしてはいけない、との戒めです。この神様方も、無慈悲なお方ではあられないのです。
話を戻します。この一神教の誕生した土地は、砂漠です。キリスト教の神様も、イスラム教の神様も、砂漠でお生まれなのです。厳しい、砂漠の環境を思うとき、自分と違うものは抹殺するという、恐ろしい考え方が生まれたのだと、解ります。
一方、私たち日本人が敬ってきた八百万の神々も、仏教やヒンズー教の神々も、森でお生まれになられた方々です。豊かで、優しい森が、私たち日本人の宗教観の根底にあるのです。
ですから、昔の人々は、鎮守の森を大切にし、みんなで神様をお守りし、敬ってきたのです。
大陸から、仏教が伝えられてからも、初期の頃こそ、物部氏と蘇我氏による闘いがありましたが、のちの賢人たちにより、神仏習合という、互いを大切に思いあうやり方で、次第に溶け合っていったのでした。
私たち日本人は、宗教的にいい加減なのではなく、寛容なのです。その寛容さを育まれた鎮守の森は、この日本から無くなろうとしています。
森を守ることは、大変、長い間の習練の必要なことです。林業に従事される方々に心から、お礼を申上げて、どうか、あきらめず、後進をお育ていただきたい旨、お願いしたく存じます。どうかよろしくお願い申上げます。
2008年03月21日
ハレとケを意識した暮らし
今の言葉で表すなら、表舞台と裏方でしょうか。表舞台で、恥かしい行いをしないために、裏方を始めとする、普段の暮らしが大切だということです。
かつて、祭とは、政(まつりごと)と一体であったのに、「イベント」と同一視されるほど、貶めて平気な現代を、私は、恥じています。
これを、かつての姿へと立ち戻るために、この「ハレとケ」を意識した暮らしをなされる方が増えて欲しいと思います。
2008年03月20日
貧しさは人間性が問われる試練体験
なぜなら、私自身が、父が私に遺してくださったお金を、勉強しながらのバイト生活によって、また、自分自身の一流品好きと、求めた一流品に導いていただいて、人間として、一流を目指そうと思うがあまりの、無謀な買い物のしかたによって、ついに使い果たし、ご苦労をかけてばかりの母に、借用書をお書きし、お仕事の経費をお支払いさせていただいておる、という状況にあるからです。
しかし、事実貧しさの中にある私に、絶望感がまったく無いのは、まさに「幸いなるかな、貧しきもの」というイエス様のお言葉を、一条の光として心にいだいて、毎日を過ごさせてただけているからです。
さらに、先日、日ごろ、お世話になっているお店の方々に、自分で納得のいく品物をお礼として、差し上げることをお許しいただいたことが、たしかに、借財のみの自分の幸せを確実にさせていただいたと、感謝の念に耐えないのです。お受け取りいただいた品々は、母からの借財によるものではなく、自身のカードで一括払いにさせていただきましたから、貧しさをもたらすものではございませんので、どうか、ご安心を。
さらに、二十万円からなる、イタリア製のお客様がお座りになられる家具については、リボ払いで、一歩一歩、完済を目指すことが、何よりも励みになると、心から思っています。
こうして、借財のみ、もしくは、やっとで国民年金を自分で出している、という私から拝見させていだたくと、ご自分で所得税をお支払いになられていらっしゃる方々はお幸せだなぁ・・・と思わずにいられません。
私がこの二十年以上の勉学の日々で、所得税が発生する所得を得た時代は、派遣社員時代くらいのものでしょうか?
必ず、所得税を支払えるお金をいただける占い師になること、が目標でしたが、昨年は、まだまだいたらず、その半分も働けておりません。お恥ずかしい限りでございます。一方、お客様のお部屋の設備投資で、伊勢丹の割引率がセレブリティの方々と同じ、という不思議な境遇でございます。
今年こそ、所得税の支払える働きをさせていただきたい、と決意する一方で、先ごろ、無期懲役になられた畠山静香さんのことを、考えずにおられない私です。
彼女は現代の悪女という位置づけでメディアの方々が扱われている犯罪者なのですが、貧しいこと(お金が本当に少ないこと)をご経験になられた方なら、お分かりでしょうが、手の中のお金の少なさほど、心細く、人の心を絶望のふちにおいやるものは、他に、怨念くらいのものではないでしょうか?ただし、怨念は、ご自身の心のありようを反映したものであり、同情の余地はありません。
貧しいことは、罪でしょうか?
お金さえあれば、という思いで、何度コンパニオンレディの募集をながめたかしれない私を、その職業につくことを選択しないで、前向きに生きていこうという気持ちにさせてくれたのは、母を初めとする、私の肉親の存在です。
この方々が、私を信じてくださっている以上、この信頼に恥じない私でいなければ、との思いが、そういう私にとっては、誘惑の道(この種の職業のとらえかたは人それぞれであり、わたしがそういうとらえかたをしたのは、自分で道を切り開くことを身をもって示して逝かれた亡き父を目標としているからです)への足取りを危うく、本当に危うく、止めてくださっていたのです。
その存在がまったく無い状況下の私を想像するとき、人様のものに手を出さない私でいられるだろうか、と考えると、そら恐ろしくなります。なぜなら、感謝できる存在の無さほど、心細いものはないからです。(宗教とは、感謝して生きることを、私たち人間が習慣とするよう、神様のおはからいで、生まれたものではないか、と常々考えている私でもありますから)
ことほど、かように、貧しさは、人の心を、いや、むしろ魂を切り刻む、試練です。
私は、この窮乏経験から、しまつのし方(節約方法)と、買い物の仕方には自信をもっている、という今の私の側面を身につけました。
私には、暖かい肉親がいました。静香さんという女性には、暖かい肉親どころか、お友達につまはじきにされたお辛い経験しかおありにならないことを、なぜ、メディアの方々は、かよわい女性に石つぶてをなげるような調子でご紹介されるのか、私は、不思議でなりませんでした。彼女を守って盾(たて)になることは、むずかしいことでしょうか?その存在の有無がこの方の今を決めたのではないでしょうか?メディアにおられるのは、一流の方々なのですよね?
ご無礼を自覚しながらも思うのです。ご遺族の方々に、せめて、彼女をお許しになられる寛大さとお優しさを感じることができれば、まだしも、安堵できたのに、と。「汝の敵を愛せよ」とは、イエス様のお言葉です。このお言葉を胸にいだかれて、この事件をご紹介くださるメディアのかたを拝見することができたら、いいな、と思わずにおられないわたしです。
タグ :山上の垂訓
2008年03月20日
「成功」という概念

「成功」という概念は、諸刃の刃(もろはのやいば)なのではあるまいか?
私自身は、大切な方々の「幸せ」の一助とならせていただくことというお役目に勤める身ですが、その方々に「成功」をされていただきたいか?と考えると、違うのです。
「悔いの残らない生をまっとうされていただきたい」けれど、それは「成功」という表現をさせていただきたくない、と感じます。
その方々、それぞれにご満足のありようが異なる以上、私は、「悔いを残されませんように」と願うのみです。
なぜ、こんなことを書いているのかというと、「マーフィーの法則」に代表される成功の指南書と「ロバート・シュラー牧師の著書(京セラの稲盛和夫氏他監修)」では、積極的思考(いわゆるポジティブシンキング)のあり方に違いがあるからです。
ただ、想像することで、確かに潜在意識は、想像した状態をもたらします。世に多い「幸運グッズ」を皆さんが好まれて、手にされたことで望まれた状態が訪れるのは、持たれたことで、明るい未来を描くことができた結果です。それ自体は、善し悪しをうんぬんする問題ではなく(私が大切に思い敬う神社仏閣のお守りも、そういったことを祈念されてお作りされておられますし)、この潜在意識の存在と威力を誰もが知り、有効利用できるようになってきた現代だからこそ、どのような姿勢で、この力をお使いになられるか、ということが、後々、明暗を分けるのではないか、と私は考えています。
もう達成された気持ちを感じて、日々生きていかれることで、確かにそれはもたらされるのです。
だからこそ、そんな気分をありありと感じる努力をなされる(マーフィーの法則に乗っとられて)ことから、さらに、一歩、踏み出す決意をされ、実際に行動によって、より力強い、確かな達成感を味わう方々でいらして欲しい、と思うのです。行動を伴う幸せの想像には、学びかあるからです。ただ、幸運を想像するだけで成功できる、今の時代だからこそ、果敢に挑戦する姿勢(もちろん、実際に行動されて)で、他者からの信頼に裏打ちされた、人の期待を生涯、裏切ることのない有徳の方々になられるお姿を拝見させていただけたら、占い師として、これに勝る幸いはございません。
2008年03月18日
上等の神戸牛はとろける舌触り

「和黒(わこく)」というそのレストランで、いただいた上等の神戸牛のステーキは、口に入れたとたん、とろけるように柔らかなお肉でした。
衝撃でした!!
今まで、そんな牛肉を食べた経験がなかったからです。なにしろ、節約を思って、オーストラリア牛を定番にしていた我が家でしたから。(しかも、それが底値のときを狙って、買い求めていました)
でも、その舌触りを感じたとき、その選択は、正しくもあり、かつ間違いでもあったことにきづいたのです。本当に上質なものを知らずに、それが普通だと思いこむことで、明らかに自分の可能性を狭めていたからです。
私は、神戸を立つ日、そのお店で一番上質なお肉を二人分、買い求めて手に持って帰ってきたのでした。そして、今日、母のために、細心の注意をもって、焼いたのです。ちゃんと、ミディアムに焼くことができました。
母も、このお肉の舌触りに驚いていました。そして、何度も「おいしい」と言ってくれたのでした。何よりも、母の笑顔が嬉しい私にとって、今回の神戸で学んだことの多さに感謝せずにはいられません。
「これからは、自分が上質で上等なものに手を伸ばすことに、躊躇したりするものか!」と今、私は思っています。
タグ :神戸牛
2008年03月18日
阪神大震災の慰霊碑にお香を手向けて・・・

阪神大震災のときに倒れ、そのとき止まったままの時計を含む、マレーネ(海の女神)像が、その慰霊碑になることを知った私は、三宮にあるその像のもとへ、お線香をもって向かいました。
晴れたその日、神戸はとても暖かく、そのマレーネ像の周りでは、鳩やスズメたちが、日向ぼっこをしていました。私は、お線香を手向けて合掌しました。「御霊(みたま)の安らかならむことを」と目を瞑って、心で唱えていると、鳥たちのさえずりが聴こえました。
私の後ろでは、十代後半と思われる少年が、スケートボードの練習をしていました。
「この街は、本当に復興したのだなぁ・・・」と思いました。
その後、その像から一番近いコンビにで、国連難民高等弁務官事務所に送金をさせていただきました。
いつにもまして、嬉しい気持ちで送金させていただくことができ、私は、自分の幸せを思い、感謝せずにはおられない思いで胸がいっぱいになりました。
「生かしていただいているのだから、一生懸命、生きていこう」と思います。
2008年03月18日
神戸で待っていたもの

かねてから、静岡の街に出て、占いの仕事をさせていただこうと思っていた私ですが、その折にお客様に座っていただく椅子や机のイメージが固まらず、なかなか軌道にのせられずにいたのでした。
神戸滞在2日目、もうじきお昼という頃、私は、ステンドグラスの電燈やヨーロピアンな家具を素敵にディスプレイした広いギャラリーのようなお店にフラッと入りました。ステンドグラスやアール・ヌーヴォー調の品物が大好きな私は、そのお店に入ったとたん、気持ちが豊かに満たされていくのがわかりました。
そして、ある小ぶりの肘付きチェアに目が吸い寄せられました。私には、その椅子が「僕に座って!」と言っているように感じたのです。そして、お店の方に頼んで座らせていただいたところ、さらに目の前に、かわいいデスクと、素敵なカウチがあるのに気づいたのでした。
その瞬間、私は、そのカウチに座って私を見つめておられるお客様を感じたのでした。お店の方に、「私は占い師なんですが、もし、イベント会場で、このイタリア製の家具に座った占い師がいて、このカウチに座って未来のことを占ってもらったとしたら、絶対に幸せになる気がしませんか?」とお聞きすると、私より少し先輩なお年のその方は、「ええ、ええ!」とニコニコされたのです。即座にその椅子とデスク、カウチの購入を決めた私に、その方は、ビックりするようなお話をしてくださいました。
この家具は、昨日イタリアから来たばかりのまっさらな家具で、その日私が来る前に、気に入った女性がいらしたそうです。その方は、ご主人に聞いてからまた来るとおっしゃられ、店をでられたとのこと。
そして、ほどなく私が現れ、この椅子に座りたいと言ったので、内心、びっくりしたとおっしゃられたのです。そして、その方は、こうもおっしゃったのでした。
「この子たちは、あなたを待っていたような気がする。なんだか、運命的なものを感じる!」と。
今日、その子たちが我が家にやってきます。近々、この子たちと一緒に皆様をお待ちする私が、静岡の街のどこかにいることになります。
もし、お見かけになられたら、カウチに座るだけでも、お試しください。(座るだけで、料金は、いただきませんから)この子たちは、お客様に幸せになってもらいたくて、私のことを待っていた子たちですから、座ってごらんになるだけでも、きっと、気持ちが明るくなりますよ!!
2008年03月14日
長田神社に参拝させていただきました!
私の泊まっているホテルの地下3階が、地下鉄新神戸駅につながっていて、その駅から数駅のところに、長田神社の最寄り駅(長田町)があったのには、ビックリ!!
あんまり、予定を立てずに、下調べもザッとしただけだったのに!?
神様のお導きでしょうか?
雨のなか、静かな境内で、祖父のことを思い出していました。感謝です!!
タグ :長田神社
2008年03月14日
佳川奈未さんの神戸公演を聴いて・その1
著書からも感じることですが、佳川さんは、夢に前向きに挑戦する力を与えてくださる作家さんです。
会場は、新神戸近くのクラウンプラザ神戸。神戸出身の佳川さんが、成功するまでこの地を踏むまいと決意して、上京された話は、彼女の作品の愛読者なら、よくご存じでしょう。
本当に成功されて、故郷に凱旋公演と、さぞ、エネルギッシュな方だろうと思っていました。
エネルギッシュではありました。さらに、加えてキュート!!早口で、次から次へとしゃべっておられる、パワフルさにたくましさ、でも、とってもかわいらしい女性でした。
私も、仕事に恋に夢を持って生きて行きたい、そして、女性としての魅力をいつまでも、備えた人でいたいと心から、思いました。