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【静岡】カバラに興味があるならカバラの女王!佐藤 洋子先生を知らずにはいられない | 占いマガジン ウラッテ
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【静岡】カバラに興味があるならカバラの女王!佐藤 洋子先生を知らずにはいられない | 対面占い・電話占いガイドMy占い
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2008年03月21日

自分でお金を用意してから、いただくということ

私は、人様のお金で、ものをいただきません。いただきたいものは、その金額をご用意させていただき、かねてより心の内に大切にしまわせていただいていた、その場を訪れるのです。



ですから、静岡市による社会人大学である、静岡ヒューマンカレッジ3期生の折に、同期生のおひとりが、おっしゃられた言葉を耳にして、非常に驚きました。



ヒューマンカレッジ1期生の先輩が店主である、コンブレというカクテルなどのワンショットをいただける、その店で、その同期生と私、そして先輩の、ライターの女性の三人で、何かの作業のあとで、お酒でも、ということで、そこに居合わせたのです。



私は、常に手元不如意の身でしたから、このコンブレにおいて、低料金でお酒をいただく方法を、店主ご自身にご教授いただき、スコッチのボトルをキープしていただいておりました。



三人で、お酒をいただいたあと、帰り際に、私がいただいたスコッチが、私のボトルだと気付いて、同期生が、こう言いました。
「さっきのボトル、洋子さんのだったんだ。貰えば良かった。」と。


私は、耳を疑いました。一部上場企業のエンジニアの発言でしたので。



このとき、人様からお金をいただいておられると、だんだん、当たり前のことが、当たり前と解らなくなられるのだな、とお気の毒に思いました。恐らく、上司の方と同席した折に、只酒の味を知ったのが、いけなかったのだと思います。



その同期生は、その他の場面では、それほど、欠落した人ではなかったので、「すまじきものは、宮づかえ」とは、こういうことを言うのだと、思い、とても残念でした。
  

Posted by 佐藤洋子 at 19:33Comments(0)生きる姿勢と開運

2008年03月21日

お祀(まつ)りさせていただく方々と宿られておられる方々のこと

日本人の宗教観がアニミズム(自然に宿るものを敬うこと)であることは周知のことですが、八百万の神々は、お祀りさせていただく方々です。



神様のことは、ご専門の方々による良書をご覧いただいて、私は、宿られておられる方々を大切に思い、敬うお気持ちを持たれることをお勧めします。




鎮守の森というものを守ることは、その集落の人々には、昔から受け継がれてきた、ごく自然なおこないでした。



「授業仏教」で知られる梅原猛氏のお考えのなかに、「これまでの一神教的価値観から、多神教的価値観へと、変えていく方が良い」というご主張がお有りですが、正に同感です。



いろいろな立場や、考えを持つ人々が、お互いを否定しあうことから離れて、お互いに、敬いあい、学びあうことは、とても大切だと思います。



一神教と多神教の誕生した土地の違いを考えるとき、私はそういう考え方をしませんが、「目には目を」などといった、苛烈な宗教観が育まれたことは、理解できます。ところで、先ほどの「目には目を」の本来の意味は、「目を奪った相手に対しては、殺したいほど憎くても、目だけを奪いなさい」という、自分がされた以上のことをしてはいけない、との戒めです。この神様方も、無慈悲なお方ではあられないのです。



話を戻します。この一神教の誕生した土地は、砂漠です。キリスト教の神様も、イスラム教の神様も、砂漠でお生まれなのです。厳しい、砂漠の環境を思うとき、自分と違うものは抹殺するという、恐ろしい考え方が生まれたのだと、解ります。



一方、私たち日本人が敬ってきた八百万の神々も、仏教やヒンズー教の神々も、森でお生まれになられた方々です。豊かで、優しい森が、私たち日本人の宗教観の根底にあるのです。



ですから、昔の人々は、鎮守の森を大切にし、みんなで神様をお守りし、敬ってきたのです。



大陸から、仏教が伝えられてからも、初期の頃こそ、物部氏と蘇我氏による闘いがありましたが、のちの賢人たちにより、神仏習合という、互いを大切に思いあうやり方で、次第に溶け合っていったのでした。



私たち日本人は、宗教的にいい加減なのではなく、寛容なのです。その寛容さを育まれた鎮守の森は、この日本から無くなろうとしています。



森を守ることは、大変、長い間の習練の必要なことです。林業に従事される方々に心から、お礼を申上げて、どうか、あきらめず、後進をお育ていただきたい旨、お願いしたく存じます。どうかよろしくお願い申上げます。
  


Posted by 佐藤洋子 at 19:23Comments(0)文化と開運

2008年03月21日

ハレとケを意識した暮らし

かつての日本人の生活方針のひとつが「ハレとケを上手に用いる」という暮らし方でした。この「ハレとケ」とは、柳田国男氏、折口信夫氏ら、民俗学の先達が大切にされてこられた感覚であることを知らないと、日本人であると名乗れないほどに、日本人の祭祀に対する敬虔な思いから始まる、普段の暮らしの中に根付いていたものです。
今の言葉で表すなら、表舞台と裏方でしょうか。表舞台で、恥かしい行いをしないために、裏方を始めとする、普段の暮らしが大切だということです。
かつて、祭とは、政(まつりごと)と一体であったのに、「イベント」と同一視されるほど、貶めて平気な現代を、私は、恥じています。
これを、かつての姿へと立ち戻るために、この「ハレとケ」を意識した暮らしをなされる方が増えて欲しいと思います。
  


Posted by 佐藤洋子 at 03:09Comments(0)文化と開運