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【静岡】カバラに興味があるならカバラの女王!佐藤 洋子先生を知らずにはいられない | 占いマガジン ウラッテ
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2022年03月17日

祈りの言葉

この画像は、今年35歳になる姪っ子が、1歳半の赤ちゃんのときに、水前寺公園の小さな祠(ほこら)を見つけ、手を合わせ、拝んでいる姿を、当時二十代だった私がオートフォーカスカメラで写したものです。

「無垢な祈り」と題して、静岡市の市民芸術祭に応募したところ、入選しました。

写真撮影を趣味としている私の、唯一の受賞作品(?)です。

この頃、「祈り」について考える事が増えました。

ウクライナで紛争が起きていることも無関係ではないでしょう。

私は、対面鑑定をさせていただくとき、鑑定室のご案内のプリントと共に、「祈りの言葉」を印刷したものもお渡ししています。

「祈りの言葉」は、中世の修道士・聖フランチェスコによるものを、現代版にアレンジしたもので、出典は今は休刊になっている学習研究社のスピリチュアル系雑誌「エルフィン」です。

「エルフィン」はいわば、「ムー」の女の子版といった感じの占いや心理についての特集満載の雑誌でした。

その当時は、家にパソコンもプリンタもなかったので、手書きで書き写し、紙を挟める下敷きに入れて、日常的に読んでいました。

今の世界情勢には、この「聖フランチェスコの祈り」のような境地が、ヒントにならないかな、との思いを込めて、ご紹介しますね。

「祈りの言葉

私を導く宇宙のエネルギーに祈ります。

どうか、私を、あなたの通路としてお使いください。

分裂のあるところには、調和が、
疑いのあるところには、信頼が、
間違ったところには、真理が、
哀しみには希望、
そして、暗闇には光が
満たされますように。

人にわかってもらうよりは、わかってあげられる人に、
愛されるよりも、愛することを、
誰よりも、何よりも、私が求めますように。

私は、自分を生かすことで、人を生かし、
自分を許すことで、人を許します。

そして、憎しみや嫉妬に満ちた哀しい人を、
どうか、愛で満たしてあげてください。

私の幸せが、他の人を幸せに導き、
私の響きが、地球を浄化できますように。

自分を清め、深めていきますから、
どうか、私と共に歩いてください。」

もともとの祈りの言葉では、祈りをささげているのは神様に向かってです。
そして、あなたの道具としてお使いください、という表現になっています。

どうでしょう。
この祈りの言葉の世界観。

私は、特に中盤の、
「人にわかってもらうよりは、分かってあげられる人に、
愛されるよりも、愛することを、
誰よりも、何よりも、私が求めますように。」
の部分に、心惹かれます。

そして、こんな境地で、日々を過ごし、穏やかで優しい響きがひろがっていくといいな、と思います。

この「聖フランチェスコの祈り」をもっと、多くの方々に知っていただきたい、心からそのように思い、ご紹介させていただきました。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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Posted by 佐藤洋子 at 22:37Comments(0)生きる姿勢と開運

2018年08月17日

子猫さん、助かって良かったです!

昨日の午後5時台に、友人のFacebook記事を見て、少なからず、ショックを受けて、思わずシェアした私です。

子猫が二匹、無断で、友人の自宅駐車場スペースに、置き去りにされていたというのです。

彼女は、子猫を飼うことの出来る状況になく、困っていました。

私は、Facebookでシェアした後、思うところあって、ある人に連絡をしてみました。

そのある人とは、我が家の末っ子の白猫・雪之介くんを、野良の状態から保護してくださった、別の友人です。

彼女が、ワンちゃん、猫さんの保護活動をしている人なので、彼女自身か、知り合いに、この小さな猫さんを、保護してくれそうな方がいらっしゃるのではないか、と思ったからです。

ほどなくして、保護活動をしている彼女から、連絡をもらい、メッセージをやり取りしながら、彼女の知り合いの方が、その子猫さんを保護してくれることになったという話になったときには、嬉しくて、涙が出そうでした。

そして、子猫を発見した友人と、保護活動をしている友人の間をつないで、今回のように、無事、猫さんの保護に至ったのでした。

上の画像は、子猫さんを保護した後で、保護わんにゃんの仮宿さんにいただいたメッセージに添付されていた画像です。

子猫を発見してすぐ、Facebookに挙げてくださったKuniko Hattoriさん、私からの連絡にすぐさま、行動開始し、子猫の保護に尽力してくださった保護わんにゃんの仮宿さん、心から感謝します!

小さな命が、守られて、本当に嬉しかったです。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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Posted by 佐藤洋子 at 22:59Comments(0)生きる姿勢と開運

2016年04月02日

答えは、自分の中にあることが、多い。

人は、迷ったり、悩んだ時、外、つまり自分以外の人やものに、よりどころ(答え)を見つけようとすることが多いものです。

でも、ちょっと、待ってください。

答え探しの是非は、この際、保留にして、まずは、答えを外に探すことについて、よーく考えてみましょう。

迷いや悩みを解決するのに、自分ではない何かに、頼ったりすがったりするのって、どうなんでしょう?

それは、たとえば、自己啓発本だったり、友達だったり、私のような占い師だったりします。

なぜ、外に答えを求めるのか?というと、悩んだり迷ったりする自分に、自信が持てないからであろうかと思われます。

私も、占い師として、お客様のお悩みに寄り添う毎日ですが、日々、お客様とお話ししていて、気づいたことがあります。

お客様のお悩みに対して、生年月日で出す、その方の宿命や、タロットなどで出す運命について、お話しさせていただきますが、肝心のお悩みの答えは、お客様の口から、ポンッと出てくることが、往々にしてあるのです。

そう、答えは、ご自分の中にあることが、多いのです。

悩みに悩んで、他者に頼っても、解決しない、という経験をお持ちの方も多いでしょう。

人間の意識には、二種類あって、顕在意識と潜在意識があるのですね。

その顕在意識は、悩みに悩んでいても、潜在意識は、しっかり、答えを出していたりするのです。

ですから、ご自分の中にある答えを見つけるというスタンスが、悩みの解決には、大切です。

意識できないから、潜在意識なので、なかなか、容易ではないのですが、深呼吸をして、自分の内側に意識を集中させるという方法で、近づくことは可能です。

答えは、自分の中にある、そう思うと、少し、気が楽になりませんか?

まるで、幸せの青い鳥をさがしている、チルチルミチルのようですね。

潜在意識を活性化させると、いろいろ、不思議なこと、偶然の一致や、デジャヴなどが起き出します。

瞑想や、深呼吸のほかに、何でもないことでも、感謝するといったことが、潜在意識を活性化することにつながります。

まずは、折に触れて、深呼吸なさってみてくださいませ。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。



  

Posted by 佐藤洋子 at 01:09Comments(0)生きる姿勢と開運

2016年04月01日

好きな「祈りの言葉」


昨日は、好きな言葉として、アメリカのバスケットボール選手・マジック・ジョンソンの言葉をご紹介しました。

今日は、好きな「祈りの言葉」を、ご紹介させていただこうと思います。

聖フランチェスコの言葉をもとに、現代風にアレンジしたもので、次のような内容です。

「私を導く宇宙のエネルギーに祈ります。

どうか、私を
あなたの通路としてお使いください。

分裂のあるところには、調和が、
疑いのあるところには、信頼が、
間違ったところには、真理が、
哀しみには、希望、
そして、暗闇には光が
満たされますように。

人にわかってもらうよりは、わかってあげられる人に、
愛されるよりも、愛することを、
誰よりも、何よりも、私が求めますように。

私は、自分を生かすことで、人を生かし、
自分を許すことで、人を許します。

そして、憎しみや嫉妬に満ちた哀しい人を、
どうか、愛で満たしてあげてください。

私の幸せが、他の人を幸せに導き、
私の響きが、地球を浄化できますように。

自分を清め、深めていきますから、
どうか、私と共に歩いてください。」

朝、起きると、朝日を浴びながら、この祈りの言葉を唱えています。

心が清められるような、すがすがしい気持ちになります。

感謝です。   

Posted by 佐藤洋子 at 22:27Comments(0)生きる姿勢と開運

2016年04月01日

好きな言葉

花の中で、一番好きなのは、スミレです。

そして、一番好きな言葉は、マジック・ジョンソンの言葉です。

それは、以下のようなものです。

「『君には無理だよ』という人の言うことを、聞いてはいけない

もし、自分でなにかを成し遂げたかったら

出来なかった時に他人のせいにしないで

自分のせいにしなさい


多くの人が、僕にも君にも『無理だよ』と言った

彼らは、君に成功してほしくないんだ

なぜなら、彼らは成功出来なかったから

途中で諦めてしまったから

だから、君にもその夢を諦めてほしいんだ

不幸な人は、不幸な人を友達にしたいんだ


決して諦めては駄目だ

自分のまわりをエネルギーであふれ

しっかりした考えを、持っている人でかためなさい

自分のまわりを野心であふれ

プラス思考の人でかためなさい

近くに憧れる人がいたら

その人に、アドバイスを求めなさい

君の人生を、考えることが出来るのは君だけだ

君の夢がなんであれ、それに向かっていくんだ


何故なら、君は幸せになる為に生まれてきたんだ

何故なら、君は幸せになる為に生まれてきたんだ」

この言葉を読むたび、勇気が湧いてきます。

感謝です!!  

Posted by 佐藤洋子 at 01:17Comments(0)生きる姿勢と開運

2015年06月17日

守ってあげたい(しらたまさん、最新情報です)!

この白い、我が家の末っ子の子猫・雪ちゃんそっくりに見える猫さんは、チャイ君。雪ちゃんの兄弟です。

雪ちゃんを保護してくださったしらたまさん、のもとで、里親さんになってくださる方を待っています。

しらたまさんの最新情報をお伝えしたくて、ブログアップしています。

ブログで、入院して闘病していた、ピエちゃんが戻ってきたとのこと。よく頑張ったね(涙)!

何匹もの子猫や子犬を保護して、病気の子は、入院させて、しらたまさんは、よくこんなに頑張れるなぁといつも、ブログを拝見するたびに思う私です。

私が、以前、チャシーという名で、里親さんを待っていた雪ちゃんに会いにいったときも、何匹もの犬や猫を保護して、お世話していらっしゃいました。

そのとき、チャシーこと雪ちゃんの横のケージにいたのが、チャイ君でした。

現在、うちの子になり、雪之介と名前が変わっても、チャイくんとの兄弟の絆はつながっています。

雪ちゃんと同じく、あんまり、人に馴れていない子で、しらたまさんは、そういうマイナス的情報も、包み隠さず公開してくださる、誠実な保護者さんなので、なかなか、里親応募のお問い合わせがなかった様子のチャイ君。

でも、最新のブログで、里親候補の方と、お見合いしたことが書いてあり、「やったー!」と思った私です。

私が、ネットの里親募集サイトで、雪ちゃん(そのときはチャシー君)を見つけた時の、なんとも言えない、愛しさがこみ上げる感じを、チャイ君とお見合いした方も、感じたんでしょうね。

何にしろ、しらたまさんの努力が実りつつあること、嬉しいです。

でも、まだまだ、多くの方の応援が必要です。

しらたまさんが保護された、小さな命を、守ってあげたいです!

私は、毎月、わずかですが、送金させていただくことにしました。

雪ちゃんがかわいいから、かつての雪ちゃんと同じ境遇の子たちを放ってはおけません。

まずは、リンクをクリックして、しらたまさんのブログをご覧になってくださいませ。

そして、何か感じられたら、ぜひ、行動に移してくださることを祈っています。

しらたまさんの頑張りを知っていただくこと、まずは、それが私の応援です。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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2015年06月14日

助けてあげて!

我が家の末っ子の子猫・雪之介を保護してくださった保護者さんが、今、保護していらっしゃる子猫ちゃんの画像です。

リンクをクリックして、お読みいただけるとわかるのですが、保護者さん、保健所から子猫を何匹も保護して、一生懸命、お世話しながら、里親さんを募集していらっしゃいます。

このほど、病院で闘病生活をしていた子たちを見送ることになり、悲しみとともに、現状を切々とうったえていらっしゃいます。

私は、このブログ記事を拝見したとき、すぐにでも、送金したいと思いました。

しかし、その時は、余裕があるとは言い難い状況だったため、明日、やっとで送金できることになり、ホッとしています。

リンクをクリックされ、しらたまさんの、ブログをご覧になってくださいませ。

そして、何か、感じることがあったら、ぜひ、ご自分のできることから、始めてくださいませ。

保険所で殺処分になるところを、免れて、しらたまさんに保護された命、助かってほしいです。

これから、このブログで、折に触れて、しらたまさんのこと、ご紹介させていただこうと思っています。

それが、私にできる、応援だからです。

みなさんも、小さな命を助けてあげるための一歩、踏み出していただけたらと思います。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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2015年02月26日

勉強がしたい!

勉強が嫌いという人も世の中には多いと聞いています。

しかし、私は、大の勉強好き。

今、勉強したいのは、占いなどの運命学を中心とした、哲学的な学問ですね。

そうした学問を学んだら、実践する生き方をしようと思っています。

学んだことは、実践しないと。

そして、インプットしたことは、アウトプットすることも大切。

それは、教えるということかもしれないし、こうして、ブログに書いてみたりすることかもしれません。

なぜ、こんなに、学ぶことに、心躍るのか、と自問自答してみたんですが、「ここまで学べば終わり、OK」ということがないから、のようです。

どこまで行っても、まだまだ、深い世界がある、そして、それを自分で調べてみたり、師と仰ぐ方に、教えを乞うてみたり、そうして、蓄積される知識と智慧が、自分をどんどん、深めてくれているように思うからです。

我が家には、大漢和辞典とか、小学館の30巻からなる国語大辞典がありますが、それらを開いて調べものしていると、時間のたつのを忘れる楽しさです。

そして、こうした学びを通して、より深い鑑定ができるよう、智慧を磨きたいと思います。

何にせよ、学べる環境にいることに、感謝です。

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Posted by 佐藤洋子 at 23:45Comments(0)生きる姿勢と開運

2015年01月26日

土に触れる幸せについて

土に触れる幸せについて、これから記そうしているのに、アスファルトの隙間から花を咲かせているスミレの画像でお送りする私。

スミレの生命力の素晴らしさを思い、この画像を、思わず選んでしまいました。

さて、私はこの頃、家庭菜園を始めようと、準備をし出しました。

蒔き時が、2月の種を入手したため、今は、その準備です。

まずは、土づくりと思い、かつて、花やハーブを植えて、その役目を終えたあと、そのままにしていた、やせた土が入っているプランターに、リンゴやニンジンといった果物や野菜のくずを埋めています。

もちろん、2月に蒔く種用には、別の土を購入してあるのですが、近い将来の作物用に、良い土を作れないものかと思っているのです。

そんなことを始めてみて、私は、とても幸せな気持ちになっていることに気づきました。

土に触れるのは、実は、久しぶりのことです。

かつて、結婚していた頃、庭にプランターで、ハーブやミニトマトを育てていた私。

お料理の仕上げに、庭のハーブをチョキっと切っては、刻んで、入れたりしていました。

今、その時の気持ちを思い出している、というのとは違いますが、土に触れてみて、とても堅実な気持ちになって、それが心地よいのです。

思えば、私の大切なテーマは、地に足をつけること、グラウンディングです。

占いをライフワークにしている身、どうしても、天とつながる機会が多くなります。

同じだけ、地に足をつけなければバランスがとれないのですが、それが足りないと常々思っていました。

きっと、それが、土に触れることで、少しだけ、補えているのでしょうね。

2月になったら、葉大根の種を植えようと思っています。

自家栽培の、葉大根で、胡麻和えや、お浸しを作る、想像するだけで、ワクワクします。

大地と触れると表現するには、ささやかな、プランター栽培ですが、私には、それがとっても大切な時間になりそうです。

次にこのテーマでブログアップするときは、スピリチュアルな観点から、土に触れることの意味を掘り下げてみたいと思います。

では、続報をお待ちくださいね。

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Posted by 佐藤洋子 at 10:10Comments(0)生きる姿勢と開運

2015年01月20日

震災ドラマ「ORANGE」観てよかったです!

震災ドラマ「ORANGE」、観てよかったです!

ドラマ鑑賞は、NHKに偏りがちな我が家ですが、でも、昨夜、TBS系列で放送された、震災ドラマ「ORANGE」、とっても感動的なドラマでした。

私は、過去に、同じTBS系列で放映された「ルーズヴェルト・ゲーム」を観て以来、若手俳優の工藤阿須加氏のファン状態なのですが、今回、このドラマに、彼が出演すると知って、早速、予約録画した次第です。

「ルーズヴェルト・ゲーム」のときは、野球選手の役でしたが、今回は、消防隊員の方を演じていました。


そう、思わず、「消防隊員の方」と敬意をこめて、表現したくなる、そんなドラマでした。

私は、数年前、会社勤めをしていたとき、帰宅途中に、地下道へ降りる階段を踏み外し、右足首を複雑骨折したことがあり、そのとき、消防隊員の方々に、救急車で、運んでいただいたことがあります。

幸い、頭などは打っていませんでしたから、話ができる状態の私のことを、無線で、「意識は清明」と、伝えていらっしゃるのを聴いて、「そういう風に言うんだ」と思ったことを覚えています。

さて、今回のこのドラマ、「テレビ未来遺産 ORANGE ~1.17 命懸けで闘った消防士の魂の物語~」と銘打った、震災の折に尽力された消防士の方々、被災者の方々、亡くなられた方々への思いの込められた、とても感動的な内容でした。

私は、私大の出身者で、在野ということに、誇りを持っていますが、こういうドラマを拝見しますと、「官」の方々の、まっすぐな努力には、敬意を表さずにはいられません。


思えば、私の両親はともに、公立の学校の教師でしたから、「官」の人でした。

おかげで、私は、自分の親に、授業参観はおろか、入学式も卒業式も出席してもらったことはありません。

そのことを不満に思ったことは無かった私ですが、今回、このドラマを拝見して、「官」の方々の責任の重さ、仕事の厳しさに触れ、改めて、自分の両親が公務員であったことを、嬉しく思いました。

自分は、占い師という、在野も在野の仕事をしていますので、公(おおやけ)というものとは程遠いところにいる身です。

立ち位置はどうであれ、「仕事に対して、真摯でありたい」、このドラマを拝見して、強く思いました。

そんな、当たり前の、だけど、日常生活をだらだらとすごしていたら、うっかり忘れてしまいそうな、「大切な真面目さ」、というか、「きりっとした生き方」って、素敵だな、と思い、明日から、そのように生きるぞ、と思った次第です。

良いドラマは、自分の生き方を振り返らせてくれます。

ありがとうございました。

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2015年01月14日

生きがいを見つけるために

主たる占い(カバラ数秘術)を用いると、生まれてきた使命が判ると、常々、発言したり、書いたりしているためか、「毎日がつまらなくて、生きがいが感じられず、このまま年をとっていくのが不安です」とおっしゃるお客様に遭遇することが多い私です。(脈絡はありませんが、去年の8月15日に他界した、愛猫のトラちゃんの画像でお送りします)

また、「私が生まれてきた意味が知りたいです」という問いも、よくいただきますね。

大変、ありがたいことと思っています。

それこそが、私が本領発揮できる分野なのですから。

運命学を学ぶにあたって、私は、自分が生まれてきた意味、天から与えられた使命、何を為すべく生まれてきたのかを、知りたいと思っていました。

それが判れば、きっと、自分を生かしていくことができると思ったからです。

今思えば、運命学を学ぶという選択をした時点で、私はすでに、自分の使命を悟っていたことになりますが、その頃は、本当に手さぐり状態でした。

私が運命学を学ぼうと思ったのは、占いや精神世界の本を読んだり、そういう事柄について考えたりしていると、とても楽しかったからです。

理由はそんな単純なものでした。

さて、私のことはともかく、皆様が生きがいを発見したり、ご自分の天命を悟るためにどうしたらよいでしょうか?

結論から申し上げますと、「ご自分のお好きなことに、注目されるのが良いでしょう」ということになります。

趣味であるとか、遊びであるとか、もしくは、なんだか気になることといった、ご自分のお心の中をかなりの割合で占めていることに着目するのです。

そういったことをもっと極めようとされると、ご自分の人生における、使命につながることが多いですよ。

これをしていると、時間のたつのを忘れてしまうほど、夢中になってしまう、そんなことがおありでしたら、ぜひ、そのことを、追求なさってください。

そして、それが、生きがいの発見や天命を果たすことにつながる、最短距離の道であると思います。

そうして見つけたことが、ライフワークになって、それで食べていけるようになれば、まさに天職と言えるわけですが、そうならなくても、たとえばサブワークとして、生涯、続けようと決意される、もしくは、一生続ける趣味として大切にしたいと思われるなど、ご自分が納得いく形に落とし込んでいけたら、それでよいと思います。

サブワークであっても、趣味であっても、それに出会ったことで、皆様が生き生きと過ごせるならば、それは天職なのだと思います。

さて、一方で、「好きなことも、夢中になれることもみつからないし、第一、極めるとか、追求するとか、めんどくさい」という発言も聞こえてきそうですね。

そういった方々へのメッセージは、次回をお待ちいただけたらと思います。

良い悪いではなく、人は皆、それぞれが違うのですから、あり方もいろいろですよね。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

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Posted by 佐藤洋子 at 04:29Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年10月27日

仕上がりました!

美容室off the Lipさんでの、変身、仕上がりました。

静岡でも、このお店にしかない、効果抜群の施術で、髪の毛が、蘇りました。

素晴らしい!
  

Posted by 佐藤洋子 at 12:30Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年10月27日

美容室off the Lipさんで、リフレッシュ中

美容室off the Lipさんで、変身中です。

オーナーの望月佑起さ
んは、私が占い師の開業届けを出した頃、約10年前からのお付き合いです。

その頃は、SO-HAGIWARA美容室の若き店長さんでしたね。

ちょっと、違うお店にお世話になったこともありましたが、この前、道を歩いていたら、偶然、遭遇して、そこに天の采配を感じた私は、また、彼のお店にお世話になることにしました。

現在、気持ちの良いお店、気持ちの良いスタッフに囲まれて、幸せを感じています。

どう、仕上がるか、乞うご期待!
  

Posted by 佐藤洋子 at 10:32Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年07月30日

一見、不運に見えることが、幸運であるということ

画像は、鑑定室の扇をひっくり返して、銀色から金色の地にした様子を撮ってみました。

さて、この金色の地の扇を飾った訳は、この頃、正直な話、必要経費がかさんで、かさんで、仕方なかったため、金色の地の扇を鑑定室の西に飾って、本気で金運招来を願ったからのことです。

どのように、必要経費がかさんだかと言いますと、まず、ウィンドウズ7搭載の、買って一年とちょっとのパソコンの故障。一年を過ぎているため、長期保証の無い店で購入した、そのパソコンは、有料で修理に出す羽目に。

さらに、そのパソコンの修理がやっとで終わって、家に持って帰った途端、買いかえて3年ほどのプリンタが故障。

修理に出すのは仕方ないけれど、出してしまったら、毎日、仕事でプリンタを使っている身には、早速、仕事に支障がきたすということに。

なので、まずは、新しいプリンタを購入するべく、家電量販店へGO!

二日続けて、そのお店に行く羽目になった、その二日間は酷暑。

最新式のでっかいプリンタを下げて、バスで帰ってくるのは、結構、骨がおれました。



そんなこんなで、急な出費がかさんだ、佐藤洋子研究室ですが、これ、悪いことが重なったという訳ではないんです。

むしろ、喜ぶべき現象かもしれません。

なぜなら、こういう風に、家電やパソコンが一気に故障して、修理する、もしくは買いかえる羽目になるときって、運命の流れが大きく変わるときでもあるからです。

そして、その流れの変わる時期に、してはいけないことが、あります。

それは、お金を出し渋ること。

または、お金を出して、新しい機器を買ったとしても、支払いのとき、「ああ、こんなにお金を遣っちゃった~!」的なマイナスな気持ちでお金を遣うこと、これ、すっごくNGなんですね。



長く使った家電、その他が壊れたりして、修理、もしくは買いかえとなったとき、その運気の流れの変わり目に、最大限に幸運を引き寄せる方法って、もう、お分かりですね?

壊れてしまった機器には、「これまで、長い間、ありがとうね」という気持ちで、接し、もし、直すことができなかったなら、せめて、きれいに拭いてから、ゴミに出すのです。

そして、新しい機器を買う時、「新しいものを買えることに感謝します。ありがとうございます」という気持ちで、お金を支払うのです。

そんな風に、モノを大切に扱うことのできる人、そして、感謝の心を忘れない人を、いつまでも、不運の中においておく、そんな神様はいらっしゃいませんよ。

お金はエネルギーですから、自分を送り出す時、「ありがとうね」と言う気持ちで送り出してくれた人のところには、また、仲間を連れて戻ってきます。

ですから、お金を遣う時は、感謝して、大切に使うことです。




さて、そういったことに留意して、修理やら、買いかえやら、あわただしい二日間を過ごした後、佐藤洋子研究室では、新たなお客様を立て続けにお迎えしました。

ありがたいことです。

それでは、また、ブログでお会いしましょうね!

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Posted by 佐藤洋子 at 23:26Comments(2)生きる姿勢と開運

2014年06月29日

「別れと出会い」の意味について

今回のブログは、画像なしでお送りしますね。

一生懸命頑張って自分なりに成果を出した後、以前、仲の良かったお友達と、久しぶりに会ってみたら、話がかみ合わなくなっていた、という経験を持つ方は、ある程度いらっしゃるのではないかと思います。

その主な原因は、おそらく、あなたの成長の度合いが大きいからと言えそうです。以前、おそらく、今よりも、いろんな意味で活性化していなかったときに、仲の良かったお友達とは、成長して活性化しているあなたが、以前のままのお友達に、物足りなさを覚えてしまうのでしょう。

人は、成長するときは、一気に、二、三段は階段を駆け上っていきます。

そんなあなたの周りで、次に起こることが、上記のようなことなのです。

せっかく出会って、楽しいときを過ごしたお友達でも、あなたが成長して、そのお友達のステージより上のステージに行ってしまったら、波長が合わなくなっても仕方がありませんね。

当然ながら、以前と同じような楽しさは、味わえず、疎遠になっていくこともあるでしょう。

「なんだか、変わってしまったね」というようなことを言われて、傷つくこともあるかもしれません。

でも、そこで、立ち止まって、その関係を維持しようとしても、それは、不可能でしょう。

そういうときは、これまでの楽しかった時間を良い思い出にして、感謝の気持ちを込めて、心の中でさよならを言うのがよいでしょう。

無理に、関係を断つことをする必要はありませんが、結局、そのお友達との距離は開いていくことでしょう。

それが、つまるところ、ベストな選択です。

無理に、関係を続けようとすれば、お互いに相手に違和感を覚え、あるいは失望し、悪い形での終焉を迎えるかもしれません。


人が成長して、どんどん、自分の世界を広げたり、深めたりしているとき、こういうことがおきます。つまり、置いていかなければならない人間関係が発生するのです。

それは、羽ばたこうとするあなたにとって、つらいことかもしれません。

でも、そのご縁を手放すことで、新たなご縁を引き寄せることもできるでしょう。

「出会いと別れ」とは、もとい、「別れと出会い」とは、そういうものなのです。

自然な形で、疎遠になっていく人間関係を、さびしく思うでしょうが、その人々と、絶対、再会できないとも限りません。

成長したあなたに触発されて、同じステージまで、お友達が登ってくるかもしれませんしね。

自分の道を進むとき、いろいろなことが起こるなか、人間関係が変わることが、一番、つらいことかもしれません。

でも、それを恐れないでください。

また、頑張って、何かを得たあなたに、つらく当たってくる人もいるかもしれません。

それもまた、あなたが成長してまぶしい存在になったために起こります。つまり、周囲に、嫉妬の感情を起こさせるほどに、あなたは輝き始めているのです。

ですから、そういう時にも、気にして萎縮する必要はありません。

あなたは、堂々としていればよいのです。

さて、今回、成長していく過程で起こる、あれこれを書きました。

参考になさってくださいね。

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Posted by 佐藤洋子 at 21:08Comments(2)生きる姿勢と開運

2014年05月24日

言葉よりも明白なものとは?

人が、人と交友関係を結ぶとき、対等な関係になるのが、望ましいのですが、それは、なかなかに難しいようです。

そもそも、同性同士であれ、異性間であれ、どちらがより、相手を強く思っているか、で、力関係が決まってしまうようなところがありますね。

より、強く思っている方が、どうしても、相手には強く出ることができず、弱者になりがちです。

また、その関係性に疑問を持ちながらも、離れられずにいる、という場合も、疑問を持っているのは弱者の側であることが多いです。

そういった場合、疑問を持ちながらも、決定的な破たんに至ることなく、ズルズルと関係が長引きます。

そもそも、疑問を持っている、それだけで、その相手との関係は、潜在意識が良しとしていない関係なわけです。

潜在意識は、かなり正確に、状況をとらえているものですから、その関係は、良いものではないのです。

終わらせることのできない理由に、相手に惹かれている、もしくは、相手の言葉に引きずられる、といったことがありますね。

相手に惹かれている、あまり良い人でないことは分かっているけれど、なんだか、惹かれてしまう、という場合は、やめた方が良いことを自覚していることになりますね。

そして、相手の言葉に引きずられるという場合、その相手は言葉が巧みで、なんだか、ごまかされてしまっている感じがするのでしょう。

しかし、相手が言葉で、どんなにつくろっても、その相手とかかわっていることで、自分の運気が上がっているのか、下がっているかは、判断できるでしょう。

多くの場合、言葉より明白なのは、相手とかかわってからの自分の状態の変化です。

より明るく、幸せな気分で過ごすことが多くなり、実際に良いことばかり起こる、というのなら、その関係は良いものだと断言できます。

しかし、なんだか、いつもスッキリしない、自分がいつもお金を出している、仕事運も下がってきた、というような状態でしたら、その関係には、早々に終止符を打つべきです。

この場合、一見、非常に良い人に見えるけれど、その人とかかわってからの自分は、運気が下がっている気がする、というようなパターンだと、良い人に見えているだけに、本当にこの関係が悪いものなのか、判断に苦しむかもしれません。

しかし、一見、非常に良い人に見えても、そして、かつ、その人に悪意が微塵もなくても、相手の運を食いつぶす人というのが存在します。

相性の問題で、そういう現象が起きることもあります。

ですから、心を鬼にしてでも、そういう人とかかわってしまったら、脱兎のごとく、関係に終止符を打つのが良いでしょう。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

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タグ :人間関係


Posted by 佐藤洋子 at 20:28Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年05月06日

見返りを求める心がもたらすもの

画像なしで、お送りします、このブログ、ある意味、自戒をこめています。

タイトルの「見返りを求める心」とは、主に恋愛の場面における心理を言っていますが、人間関係全般に言えることでもあります。

すなわち、「私がこれだけ愛しているのだから、同じだけの思い、もしくはそれ以上を、私に返してほしい」と思う心です。

それは、一見、しごく当たり前の思いです。

しかし、私が占い師として接してきたお客様のなかで、こういう感情をお持ちの方が、幸せに恋愛成就したという例を知りません。

「今の彼に、私と結婚する意志がないのなら、時間の無駄だから、見切りをつけて、次の人を探したい」とおっしゃるお客様に、私は、「そういう思いが、彼に波動で伝わっているから、彼が結婚を切り出さないのですよ」と申し上げましたが、分かっていただけなかったのが残念です。

迷う心が悪いと申し上げているのではありません。

同じだけ愛してほしいと思う心の中に、利己的なものを感じるのです。

そもそも、恋愛、人間関係において、相手を思っていることに、幸せを感じているか否かは、その後の関係を非常に大きく左右します。

相手に会えたことを、心から嬉しく思い、まず、愛せることが幸せである、とおっしゃるお客様が、「同じだけ、返してほしい」と、言うのを聞いたことがありません。

愛されたいという思いは、そういうお客様にもあるのでしょうが、愛を与えること、そのものが喜びである人なので、相手に多くを望んでいないことが伝わってきます。

そもそも、人と人が相対しているとき、相手を大切に思う心が、自分のことも癒しているという側面があります。

なので、見返りが欲しいという気持ちを持つまでもなく、相手を愛していること自体がその人を幸せにしています。

しかし、見返りを求めない心で、愛されたとき、人は、そういう相手を、心から大切にしたいと思うものです。

したがって、こういう方の恋愛は、非常にうまくいくことが多いのです。

フィフティ・フィフティを望んで、何がいけないの?とお思いでしょうか?

ギブ&テイク、フィフティ・フィフティ、同じだけ思いあっている状態を求めることは、人間関係における基本でしょ?ということでしょうか。

同じだけ、と言うところに、相手への思いを数量化する感覚がありますね。

物事を数量化する感覚の裏に、乾いた感じの、利己的なものを、感じてしまう私がいます。

これは、私の偏見であると、おっしゃる方もいらっしゃると思います。

しかし、愛の場面で、相手より自分の思いが大きかったら、損だと思う、その心が相手からの愛を、なかなか得られない原因です。

自己愛を否定はしませんが、人を愛するということは、自分よりも相手を大切に思う心なのではないでしょうか?

そういう愛を注がれて、相手の方も、愛してくれているその人を、大切にしようと思うようになるのです。

恋愛の場面において、「同じだけ愛してくれなきゃいや」とお思いになる、その時点で、相手の方は、あなたの本当の相手ではないでしょう。

見返りが欲しくなる、そういう感情でしか、思えない相手は、あなたにとって、ベストな方ではないのです。

本当に、心から愛せる人と、恋愛をしませんか?

そして、愛し、愛される喜びを享受していただけたらと思います。

ただ、愛することが、幸せである、という思いは、あなたを美しくします。

どうか、愛によって、より美しく、しあわせになってくださいませ。

それでは、皆様、おやすみなさい。

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Posted by 佐藤洋子 at 23:22Comments(2)生きる姿勢と開運

2014年04月15日

親離れ、子離れ、トラ離れ

以前、撮った、トラちゃんが男前に映っている画像でお送りしますのは、私にとっても、課題と思われるテーマです。

ちなみに、タイトルの最後の「トラ離れ」も、冗談ではなく、私にとって結構シビアなことなんですよ。

さて、「親離れ、子離れ」ですが、我が家において、これは、乗り越えるべきテーマのようです。

母と私の関係について、考えるとき、距離の取り方が、お互い下手なのではないかと思われます。

一般に、母親は、子供を所有物のように勘違いしてしまうことがあり、それが、子離れできない原因の一つとも言われますね。

我が家の場合は、ちょっと、それとは違うようです。

私と母は、私が幼いころは、あまり親密な関係ではありませんでした。

というのは、母が小学校教師をしていて、中学校教師の父とともに多忙な日々を送っていたため、小学校三年で、かぎっ子になるまでは、母方の祖母が、昼間は、私と姉の面倒をみてくれていたのです。

そして、私自身、教師である両親の助けを必要とせず、自分で考え、自分流ではありますが、一人でできてしまう子供でした。

なので、母は、さっさと一人で行動する私を見て、少しさびしかったと、後に私に言ったことがあります。

私は、自主的に行動すると言えば聞こえは良いのですが、かなり、自信過剰で、独りよがりな頑固者でもありました。

それを矯正する意味で、起こったと、今では思えるのですが、私が二十歳のとき、無理をして倒れ、かなり長いこと、眠り続けるということが起きました。そのとき、神秘体験をしています。かなりエネルギーを使ってしまったようです。

目覚めてみると、私は、鬱状態に陥っていて、何一つ、自分ではできない、しょんぼりした性格になっていました。

自分でも驚くほど、弱気で、言いたいことがあっても、何も言えないつらさを、嫌と言うほど、思い知ったのもこのときです。

そして、それ以前の私が、どんなに傲慢で、人を傷つける発言を平気でしていたかも、わかりました。

そんな、性格が激変した私に、母は、非常に驚き、また、なぜ、それが自分の子に起きたのかと、受け入れがたい気持ちだったそうです。

やがて、しょんぼりさんになった私と、母のコミュニケーションが始まりました。

大学を休学して、家に閉じこもりがちな私を、近くの公園まで、散歩に連れて行ってくれたり、黙ってそばにいてくれたり、時間の許す範囲ではありましたが、一生懸命、私を思う母の気持ちが伝わってきました。

思い返すと、二十歳が、私と母の本当のコミュニケーションが始まった起点になっているのです。

私の、大学の先輩に、「洋子が病気になって、初めて、洋子から必要とされました」と語っていたとも聞きました。

そう、二十歳の、しょんぼりした私は、0歳の赤ちゃんとして、母と初めて親子になったようなものでした。

なので、実際に、私と母の歴史は、まだ、三十年とちょっとです。

先ほど、距離の取り方が下手と書きましたが、たとえば、私は、母を喜ばせたくて、必要以上に母にものをプレゼントする癖があります。

母が、それほど、私からのプレゼントを望んでいないことも知っているのに、自分が嬉しいので、何かと母にものを買ってしまうのです。

これは、かなり独りよがりなことで、反省しているのですが、なかなか、治りません。

この頃は、以前より、仕事で得る報酬が増加したので、前より良いものが買えることも嬉しいので、拍車がかかります。

でも、私は知っているのです。母は、私が、元気で仕事にプライベートに、意欲的に取り組んでいるなら、それが一番うれしいと思ってくれていることを。

頭では、それを理解しているつもりでも、出かけた先で、母に似合いそうなもの、母が食べたらおいしいと言ってくれそうなものに出会うたび、ちゅうちょせず、購入している私がいます。

これも、ある意味、買い物依存でしょうか?

そして、もう一つ、「トラ依存」の問題。

トラちゃんとは、我が家の末っ子の猫・虎之介のことですが、この子がもし、老猫になり、やがて、失う日が来ると思っただけで、私は、非常にパニックに近い心境になるのです。

セキセイインコの瑠璃さん、だるまインコのポッピー、十姉妹のトーマスとブリマー夫妻、と、これまで、鳥の家族はいましたが、猫が家族になったのは、初めてのことです。

そして、鳥たちの喜怒哀楽の表現に、癒されてきた記憶を、塗り替えるほど、トラちゃんの喜怒哀楽の表現は、私の心をとらえて離しません。

「こんなに、愛しい存在は、トラちゃんが初めてだ」と感じている自分に、「鳥たちに悪いじゃない」と突っ込みを入れている私がいます。

「トラ離れ」、これは結構、シビアな問題です。

でも、こうも思います。「親離れ」にしろ、「トラ離れ」にしろ、やがて、否応なく別れは訪れますよね。死別ということです。

ならば、その日が来るまで、めちゃめちゃ、愛して、大事にしたって、いいじゃない?と。

この考え、間違っているでしょうか?

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

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Posted by 佐藤洋子 at 02:13Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年03月03日

強さを秘めているのに発揮できないでいる人へ

天気予報に夢中のトラちゃんの画像でお送りしますのは、最近、私が感じている人の強さについての考察です。

お客様や、生徒さん、またはお友達とお話ししていて、思うことの一つに、「強い人というのは、優しいなぁ」ということがあります。

そういう方の第一印象は、「優しい人」「穏やかな人」といった感じのことが多いです。

しかし、お話ししていますと、随所に、「自分」というものがあり、そのゆるぎなさに、「ああ、この人は優しいけれど、強くもあるんだな」と思います。

むやみやたらに、自分を主張しないところも、「自分に自信があるから、余裕があるのだな」と思います。

多くのお客様と接している私ですが、こうした強さをたたえた方にお会いすると、とても嬉しくなります。

こうした方々は、他人に振り回されたりすることがないので、お客様と占い師として出会うことは、あまり多くはないのです。

ですが、ごくまれにこうした方々のご相談を受けるとき、多くの場合、もう、ご自分でどうしようかをお決めになられていることが多いように思います。

私にご相談されるという形をとりながら、肩を押すことを求めておられるのだな、と感じますので、そのようにさせていただいています。

さて、私は、強さをたたえている方々について、お書きしてきましたが、実はあまり、こうした方々に関して、心配はしていません。

むしろ、強さを秘めているという状態の方々について、一歩踏み出していただけたら、と思っています。

強いものを自分の中にお持ちでありながら、「秘めた」状態でいらっしゃる方々の多くは、他者への配慮、遠慮がおありのようですね。

それは、自分以外の人を大切にする行為でもありますが、配慮、遠慮の形をとって、ご自分を守っている場合もあります。

「こんな風に言ったら、角が立つだろうな」と思って、言葉を飲み込むような場面で、守っているのは、相手のメンツだけではなく、ご自分へむけられるであろう反撃を未然に、封じているのです。

もし、相手のために、言ってあげた方が良いことを飲み込んでいるとしたら、それは、はたして配慮でしょうか?

人前で言えば角が立つことでも、時と場所と言い方をよく吟味して、相手に伝えることは可能なはずですよね。

ただ、こうした面倒なことをしてまでも、相手にとって受け入れがたい内容のことを伝える意味があるのだろうか?と考えてしまうかもしれませんね。

そういう迷いがあるから、きっと、あなたは、まだ、強さを「秘めている」状態なのだと思いますよ。

本当に強い人というのは、行動に迷いがありません。

行動に移す前に、熟慮しているので、いざ、行動する段になって逡巡するといったことがないのだろうと思います。

「強さを秘めている」のではなく、自分は「弱い」のだと思う、という声も聞こえてきそうです。

いえ、そうではないのです。

弱い自分を認めていらっしゃることが実は、強さの証明なのです。

本当に弱い人は、自分を弱いとは思っていないことが多いものです。そう、自分の弱さを認められないから、本当に弱いのです。

ですから、自分の弱さを認めた時点で、あなたは強さを発揮できる人であることが証明されたということになります。

いつもながら、回りくどくて恐縮ですが、大事なところなので、もう少々、ご辛抱ください。

つまるところ、強さ、弱さといった概念を、対立でとらえることに問題があります。

これは、私の主たる占術である、カバラ数秘術的世界観が、男性原理、女性原理といった言い方で、二つの相反するもので世界が成り立っているという考え方をすることに、一見反しています。

しかし、相反するもの、イコール対立するもの、ではないのではないか、と私は思い始めています。

たとえば、自分のことを弱いなぁと感じる人が秘めている強さは、自分を強いと自覚している人の強さよりしなやかで、柔軟性のある強さである分、数段、上を行っていると思うのです。

ですから、今、ご自分が強くない、とか、弱いと思っていらしゃる方々が、「強くなろう(実際には、強さを思い出そう、かな?)」とお思いになるとき、その可能性の広がりは、素晴らしいものがあるでしょう。

漫画家・山岸涼子さんの代表作の一つであるバレエ漫画「アラベスク」の主人公・ノンナ・ペトロワのような強さ、と言っても、マニアックで理解不能しょうか?

このノンナという少女は、自分に自信がなくて、すぐいじけるという、一見、弱弱しいキャラクターで描かれています。しかも、彼女は、先生に注意されたことを、一回では、直せないことに引け目を感じています。

しかし、彼女は、一回で直せない自分の欠点を、何回も、何回も練習して、練習して、最後には、先生が望んでいる状態よりも素晴らしい状態に、自分を高めてしまうのです。

ちょっと、横道にそれましたが、この、ノンナのような素晴らしさは、最初から強い人には到達できない強さであると思います。

ということは、現在、自分の強さを発揮できていない方こそ、真に素晴らしい強さを発揮できる可能性を秘めているのです。

先ほども述べましたが、柔軟性のある、しなやかな強さとでも表現したら、良いでしょうか?

さて、私がご案内できるのは、実はここまでです。

強さを秘めているあなたが、強さを発揮する方法までは、ご案内できません。

それは、あなた自身が、試行錯誤されるからこそ、素晴らしい結果に結びつくものであり、外野の私がどうこう申し上げるべきものではないと思います。

可能性を秘めておられる皆様、是非、一歩、踏み出してくださいませ。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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Posted by 佐藤洋子 at 01:33Comments(0)生きる姿勢と開運

2014年03月01日

咲かない花、蕾である自覚がない蕾

私は、人は皆、花であると思っています。

どの人も、その人独特の花を咲かせることができると思うのです。

しかし、鑑定にいらっしゃるお客様方とお話ししていますと、ご自分とは、別の種類の花になろうとして、無理をしていたり、そもそも、自分自身が花であること、おそらく現段階は蕾の状態であることを知らないでいらっしゃる方に出会うことがあります。

まず、ご自分とは別の種類の花になろうとしている方についてです。

現代のマスメディアの発達等によって、女性の生き方に関する情報は、あふれかえっていますね。

そして、そんな中に、あこがれる生き方を見つけて、そのように生きたいと願いながらも、それが自分の本質とかけ離れていることに気付かず、見当違いな努力をしているために、花として咲けない状態にある、そんな方に出会うことがあります。

梅の花が、梅の花であることを拒否して、桜の花になろうとして、開花の時期に咲ことしない、そんなイメージでしょうか?

自分が梅であることを自覚していれば、ふさわしい時期に、馥郁(ふくいく)と薫る、凛とした花を咲かせることが可能なのに、そのことに気付いていない、そして、さらに、別の花であると勘違いしているので、結局、花が咲かない、実に勿体無い話です。

そんな方にお話しするのは、数秘術や占星術的に見た、その方の本質な性格や才能についてです。

ご自身を生かすという視点で、今後の人生設計をお考えになることをお勧めしますが、あこがれの生き方に執着して、なかなか、納得されない方も、いらっしゃるのが現実です。

桜になりたくて、本来の梅であることを、拒否しているため、宿命が生かされていませんから、さまざまなトラブルに見舞われているにも関わらずです。

今の自分に満足が出来ていない方に多いケースですが、ご自分のことを、正しく理解されることの重要性を感じる場面です。

そして、次に蕾である自覚がない蕾である方について。

そもそも、自分への自己評価が異常に低かったりして、花の蕾でありながら、ご自身が花を咲かせる種類の植物であることの自覚がない、というパターンです。

蕾を持ちながら、花としての自覚がないため、茎や葉っぱの成長が著しいのに対して、貧弱な蕾になってしまっていることが多いようです。

そんな方には、まず、「ご自分をお好きですか?」とお聞きしますが、十中八九、「嫌いです」とのお答えが帰ってくるのが、さびしいですね。

「どうしてでしょうか?」と、さらにお聞きしますと、さまざまな、自虐的なお答えが返ってきて、ああ、もったいないなぁ、と思わずにはいられません。

そういう方に共通したテイストとして、鏡を見るのもいやとか、どうせ私なんて、といった自分を否定する言葉を多用する傾向があります。

そうなってしまった理由は、その方、その方によって様々ですが、比較的多くみられるのが、ご両親との関係があまり良くないというケースです。親と言う、幼少期における絶対的存在から、十分に愛を注がれた記憶が希薄なのです。

「いい子にしていたら、愛してあげる」的なエゴを押し付けられて、傷つきながら育ってこられた方、忙しい両親のもと、一人でなんでもできる子として、親に「手のかからない子」として扱われてきた方、根本的に親に甘えるべき時期に、しっかり甘えることをしてこなかった方にみられる現象です。

そんな方々には、ご自分の性格や才能のお話しをさしあげるより、必要なことがあるようです。

丁寧に、大切に、心からのおもてなしを受けて、自分という人の重要感を高めてもらうことが必要です。セルフイメージを更新していただく必要があるのです。

もちろん、ご両親や肉親から受けた傷をいやすために、その根本的な関係の見直しをしていただくのが、一番ですが、それは、ご本人にしかできないことなので、私のもとへいらっしゃられたお客様に、私ができることは、心からその方を大切に思い、大切に大切に接することであろうかと思っています。

大切に宝物のように自分を扱ってもらうことは、自己否定的な感覚を持ってしまった方には、絶対必要なことです。

そして、ご自分が、そのようにされてしかるべき人であることを、思い出していただきたいのです。

自己否定的な方の多くは、ご自分のことを大切に扱うすべを知りません。そのような扱いを、成長期に受けていないからです。しかし、そもそも、大切に扱われなくていい人など存在しません。

ですから、私は、お客様を大切に大切に、宝物のように接しようと心がけています。

そして、ご自分のことを、大切にされてよい人であることを、自覚していただきたいのです。

蕾であることは、自己への重要感が高まっていううちに、思い出していただけると信じています。

すべての人は、花を咲かせるべく、生まれていると思います。

ご自分の花を咲かせるために、ご自身の宿命への理解は、きっと助けになると思います。

また、ご自分を好きになれない方に代表される、蕾の自覚のない蕾状態の方、こういった方々には、自分を大切にすることをお勧めしますが、そもそも、そのやり方すらわからないとおっしゃる方も多く、まずは、研究室にいらしてくださった時に、私が、心を込めておもてなしいたします。

さて、お客様を花にたとえて、お話ししてまいりましたが、いかがでしたでしょうか?

占いを、悩みの解決にする方は多いですが、私は、さらに自分らしく、生きるために、自分を最大限に生かして、生ききる完全燃焼するために、用いていただけたらな、と願っています。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

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Posted by 佐藤洋子 at 12:09Comments(0)生きる姿勢と開運