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対面鑑定、電話、スカイプ鑑定ともに、年中無休で、佐藤洋子研究室にて。
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2010年02月02日
おやすみなさい(頑張らないのはいいこと?)
画像無しの「おやすみなさい」で失礼致します。
このところ、「頑張らない」とか、そういう趣旨の本が多く出版されていることについて、私の師である斉藤啓一先生が、憂いて記事をお書きになられています。
私も、楽をして得をしたい、というのはいかがなものか、と思っていましたので、ご紹介させていただきたいと、そして、お読みいただけたらと思い、下記にリンクを貼らせていただきました。
斉藤啓一の独想録
いろいろな考え方があって、それでいいと思います。
でも、努力を放棄して、または、棚からぼた餅を期待するような、そんな生き方、私はあまり、かっこいいと思えません。
努力していても、それが普通だと、行動で示してくださっている、イチロー選手のような人も世の中にはおられます。
もちろん、人間、だれしも、楽をして得をしたい欲求は、心のどこかにあるものかもしれません。
でも、自分の夢を追いかけるのに、努力もしないで、待ってだけいても、実績は積めませんよね?
また、生活の苦しさを抱えて生きていらっしゃる方も、大勢いらっしゃることでしょう。
斉藤先生のお書きになられているように、私も、「がんばらなくていい」という主張は、あまりしっくり来ません。
頑張っても、それが、正当に評価され、報われるとはかぎらない世の中になりつつあることもあり、頑張ることを放棄せよ、という趣旨の本が売れるのでしょうが・・・。
斉藤先生の文章を読まれて、皆さんは、どのようなご感想をお持ちになられるのかなぁ、などと思いつつ、今夜は、これで、おやすみなさいませ、させていただきます。
なお、ちゃんと、そういった本を読んでの感想ではないことで、見当違いなことを書いているかもしれないことを、承知で書いております。私の誤解であると、思われた方は、コメントなどしていただけますと、幸いです。
佐藤洋子研究室のホームページは、こちらです。
ともあれ、皆様、おやすみなさい。
このところ、「頑張らない」とか、そういう趣旨の本が多く出版されていることについて、私の師である斉藤啓一先生が、憂いて記事をお書きになられています。
私も、楽をして得をしたい、というのはいかがなものか、と思っていましたので、ご紹介させていただきたいと、そして、お読みいただけたらと思い、下記にリンクを貼らせていただきました。
斉藤啓一の独想録
いろいろな考え方があって、それでいいと思います。
でも、努力を放棄して、または、棚からぼた餅を期待するような、そんな生き方、私はあまり、かっこいいと思えません。
努力していても、それが普通だと、行動で示してくださっている、イチロー選手のような人も世の中にはおられます。
もちろん、人間、だれしも、楽をして得をしたい欲求は、心のどこかにあるものかもしれません。
でも、自分の夢を追いかけるのに、努力もしないで、待ってだけいても、実績は積めませんよね?
また、生活の苦しさを抱えて生きていらっしゃる方も、大勢いらっしゃることでしょう。
斉藤先生のお書きになられているように、私も、「がんばらなくていい」という主張は、あまりしっくり来ません。
頑張っても、それが、正当に評価され、報われるとはかぎらない世の中になりつつあることもあり、頑張ることを放棄せよ、という趣旨の本が売れるのでしょうが・・・。
斉藤先生の文章を読まれて、皆さんは、どのようなご感想をお持ちになられるのかなぁ、などと思いつつ、今夜は、これで、おやすみなさいませ、させていただきます。
なお、ちゃんと、そういった本を読んでの感想ではないことで、見当違いなことを書いているかもしれないことを、承知で書いております。私の誤解であると、思われた方は、コメントなどしていただけますと、幸いです。
佐藤洋子研究室のホームページは、こちらです。
ともあれ、皆様、おやすみなさい。
Posted by 佐藤洋子 at 23:50│Comments(4)
│生きる姿勢と開運
この記事へのコメント
ずばり精神世界の限界を感じます。年末年始の年越し派遣村が象徴するように、派遣切りにあったりして職を失い路頭に迷う人たちに対し私は、日本に無数に存在する宗教法人は何が出来るのか?と問わずにはいられませんでした。大人になると金の計算でしか動かなくなるのは、彼等(生臭坊主)とて例外ではないのです。
ポスト資本主義が叫ばれる今日、世界の人口の大半を占める中国とインドが、これから欧米諸国や日本の後を追って大衆消費社会に突入(もう突入してますが)したらと思うと、そら恐ろしいです。資源の枯渇や地球温暖化の問題のみならず、『勝ち組・負け組』のはっきり分かれた社会に行き着くことでしょう…
私自身、誰もが幸福になれる結婚の形態や社会構造などという夢みたいなことを考えたりする者なのですが、このところ急浮上した独裁幹事長の進退問題はさておき、さきの政権交代ではいよいよ国民の、市民一人一人の力というものに勇気付けられた次第です。
もちろん頑張ることの是非はいうまでもありません。だからこそ『頑張り甲斐』のある社会のために、国家の枠組みという視点と、仕組みを変えるという発想が必要だと思います。
最後に、私も斉藤啓一先生の影響を受けた一人です。雑誌ムーの読者だった私が1980年代後半に手にした「カバラ数秘術」――。
「超人覚醒法」も印象深いですね_(^^;)ゞ
ポスト資本主義が叫ばれる今日、世界の人口の大半を占める中国とインドが、これから欧米諸国や日本の後を追って大衆消費社会に突入(もう突入してますが)したらと思うと、そら恐ろしいです。資源の枯渇や地球温暖化の問題のみならず、『勝ち組・負け組』のはっきり分かれた社会に行き着くことでしょう…
私自身、誰もが幸福になれる結婚の形態や社会構造などという夢みたいなことを考えたりする者なのですが、このところ急浮上した独裁幹事長の進退問題はさておき、さきの政権交代ではいよいよ国民の、市民一人一人の力というものに勇気付けられた次第です。
もちろん頑張ることの是非はいうまでもありません。だからこそ『頑張り甲斐』のある社会のために、国家の枠組みという視点と、仕組みを変えるという発想が必要だと思います。
最後に、私も斉藤啓一先生の影響を受けた一人です。雑誌ムーの読者だった私が1980年代後半に手にした「カバラ数秘術」――。
「超人覚醒法」も印象深いですね_(^^;)ゞ
Posted by 西のカモメ at 2010年02月03日 07:34
西のカモメさん、コメントをありがとうございます。
精神世界の限界、ですか。
今の世の中の閉塞寒は、逆に、精神世界を軽んじた結果、のようにも私には思えます。
宗教法人に期待する気持ちは全く無いですし、いろいろな開運本を書かれておられる方々に、一概に同感も出来ない私です。
どんな人の中にも、神聖な魂が宿っていて、それを、発動させ、お互いに、助け合い、支えあうことが自然なことになっていけば、閉塞寒ではなく、暖かな相互支援が盛んになるのでは、などと、願っています。
けれど、経済、市場原理、そういったものは、目に見えやすく、そこで競争しあうことで、今の世の中は成り立っています。まるで、そこのみがすべてであるかのように。
勝ち組、負け組という考え方も、経済的側面でのみ語られている現状は、貧しい発想だなぁと思います。
インド、中国、そうですね、脅威ですね。
しかし、江戸時代まで遡る、と循環型社会で十分足りていた日本が、かつてあったのですよね?
かまどの灰まで、お金を払って、利用していた社会がかつてあったことは、日本人が誇りにして良いことなのではないでしょうか?
しかし、既に、グローバル化した世の中で、そんなことを訴えても、「何言ってるの、ばっかじゃない」で終わってしまうでしょう。
有るもので、なんとかやっていく知恵も、これからは必要になるでしょうし、しかし、それでは、経済は一向に回復しない・・・ジレンマですね。
西のカモメさんのおっしゃられているような、頑張り甲斐のある社会作り、を私たち大人が真剣に考え、構築していかなければならないでしょう。
今、まさにその過渡期に置かれているのでは、私たちなのではないでしょうか?
精神世界の限界、ですか。
今の世の中の閉塞寒は、逆に、精神世界を軽んじた結果、のようにも私には思えます。
宗教法人に期待する気持ちは全く無いですし、いろいろな開運本を書かれておられる方々に、一概に同感も出来ない私です。
どんな人の中にも、神聖な魂が宿っていて、それを、発動させ、お互いに、助け合い、支えあうことが自然なことになっていけば、閉塞寒ではなく、暖かな相互支援が盛んになるのでは、などと、願っています。
けれど、経済、市場原理、そういったものは、目に見えやすく、そこで競争しあうことで、今の世の中は成り立っています。まるで、そこのみがすべてであるかのように。
勝ち組、負け組という考え方も、経済的側面でのみ語られている現状は、貧しい発想だなぁと思います。
インド、中国、そうですね、脅威ですね。
しかし、江戸時代まで遡る、と循環型社会で十分足りていた日本が、かつてあったのですよね?
かまどの灰まで、お金を払って、利用していた社会がかつてあったことは、日本人が誇りにして良いことなのではないでしょうか?
しかし、既に、グローバル化した世の中で、そんなことを訴えても、「何言ってるの、ばっかじゃない」で終わってしまうでしょう。
有るもので、なんとかやっていく知恵も、これからは必要になるでしょうし、しかし、それでは、経済は一向に回復しない・・・ジレンマですね。
西のカモメさんのおっしゃられているような、頑張り甲斐のある社会作り、を私たち大人が真剣に考え、構築していかなければならないでしょう。
今、まさにその過渡期に置かれているのでは、私たちなのではないでしょうか?
Posted by 佐藤洋子
at 2010年02月03日 09:55

何かを得るということは何かを失うことだと思います。
何を失うか、何を犠牲にするかは
人によって違います。
人間関係だったり、お金だったり、時間だったり。
たとえば、スペイン語がペラペラになりたいと
思ったら、まず勉強しないとなりません。
遊ぶ時間を失い、テキストを買ったり教室に通う
となればお金がかかります。
あんな真剣になって、あの人バカじゃないの?
と言う人も出てくるでしょう。
それでも、それを得たいかどうかですね。
その代価を払う覚悟がない方は
がんばらなくてもいいと思います。
ちょっと厳しい考えかもしれないですが、
これが現実だと思います。
だから僕も「がんばらなくてもいい」という
考え方はしっくりこないです。
何を失うか、何を犠牲にするかは
人によって違います。
人間関係だったり、お金だったり、時間だったり。
たとえば、スペイン語がペラペラになりたいと
思ったら、まず勉強しないとなりません。
遊ぶ時間を失い、テキストを買ったり教室に通う
となればお金がかかります。
あんな真剣になって、あの人バカじゃないの?
と言う人も出てくるでしょう。
それでも、それを得たいかどうかですね。
その代価を払う覚悟がない方は
がんばらなくてもいいと思います。
ちょっと厳しい考えかもしれないですが、
これが現実だと思います。
だから僕も「がんばらなくてもいい」という
考え方はしっくりこないです。
Posted by 山内 晃 at 2010年02月03日 10:56
山内 晃さん、コメントをありがとうございます。
何かを得ようと思ったら、何かを失う・・・。一人を選ぶことは、他の大勢の人を失う・・・。ほんとにそうですね。
がんばらない(他力本願)という考え方は、私の中では、自分がやれることは、やるだけやって、そして、もうやることが無いほど手を打った後で、あとは運を天にまかせるような、そういうことだと解釈しています(宗教的には間違っているでしょうが)。
山内さんのおっしゃておられる、代価をはらうこと、これも勇気がいることですね。
しかし、自分にとって、必要である、どうしても欲しい、または、自分はこうありたい、というビジョンがある人にとっては、代価をはらうことは、ごく自然なことではないでしょうか?
スペイン語の学習にしても、身銭を切り、時間をそこに割くからこそ、身につくものだと私も思います。
そして、各人が身に着けたスキルを、お互いに提供しあい、より良い世の中になっていくための礎を築くような、そういうアクションが、今、必要とされているのではないでしょうか?
競争原理は、腕を磨きあうために必要です。磨いた腕は、使わなければ持っていないと同じです。
だからこそ、互いの能力を、差出しあって(アイデアを盗まれるとか、そういうちっぽけな考えをしないで)、窮余の一策を、ひねり出すような人々が増えれば、この世の中はもっと良いものになっていくように思います。
政治家のみなさんには、最も不得手な、ことのようで、国会中継を拝見していて、相手を非難しあう暇があったら、知恵を出し合って、一人でも多くの国民を救う策を考えていただきたいものだと思っている私です。
何かを得ようと思ったら、何かを失う・・・。一人を選ぶことは、他の大勢の人を失う・・・。ほんとにそうですね。
がんばらない(他力本願)という考え方は、私の中では、自分がやれることは、やるだけやって、そして、もうやることが無いほど手を打った後で、あとは運を天にまかせるような、そういうことだと解釈しています(宗教的には間違っているでしょうが)。
山内さんのおっしゃておられる、代価をはらうこと、これも勇気がいることですね。
しかし、自分にとって、必要である、どうしても欲しい、または、自分はこうありたい、というビジョンがある人にとっては、代価をはらうことは、ごく自然なことではないでしょうか?
スペイン語の学習にしても、身銭を切り、時間をそこに割くからこそ、身につくものだと私も思います。
そして、各人が身に着けたスキルを、お互いに提供しあい、より良い世の中になっていくための礎を築くような、そういうアクションが、今、必要とされているのではないでしょうか?
競争原理は、腕を磨きあうために必要です。磨いた腕は、使わなければ持っていないと同じです。
だからこそ、互いの能力を、差出しあって(アイデアを盗まれるとか、そういうちっぽけな考えをしないで)、窮余の一策を、ひねり出すような人々が増えれば、この世の中はもっと良いものになっていくように思います。
政治家のみなさんには、最も不得手な、ことのようで、国会中継を拝見していて、相手を非難しあう暇があったら、知恵を出し合って、一人でも多くの国民を救う策を考えていただきたいものだと思っている私です。
Posted by 佐藤洋子
at 2010年02月03日 12:00
