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【静岡】カバラに興味があるならカバラの女王!佐藤 洋子先生を知らずにはいられない | 占いマガジン ウラッテ
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2009年11月12日

善い人が試練に遭うことについて

これまで、いろいろな方々を占わせていただきながら、ある共通した事例に、疑問をいだいてきました。
それは、心の純粋な人、いわゆる善なる方々が、苦しみや悲しみといった試練に遭いやすい、という矛盾です。

なぜ、そのように純粋に生きておられる方々が苦しみに遭われ、魂を刻まれるような思いをされておられるのか、そのような不条理がなぜ起こるのか、疑問に思ってきました。

その答えの一端を、私のカバラ数秘術の師である、哲学者・斉藤啓一先生がホームページ上で述べておられます。
是非、みなさんにも読んでいただきたく思い、URLをここに記します。

http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/Z-0.htm

みなさんは、この斉藤先生の見解について、どのように思われますか?

私は、心の底から、うなずけるものを感じました。

自我を解体させるために起こる試練、そして、そこから逃げない人のみが達することのできる境地。

そのような境地に達することができるのなら、今の私の苦しみなど苦しみのうちに入らない、と思えるようになりました。

ありがとうございます。



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この記事へのコメント
早速飛んでみます。


私もそう思ってました。

ありがとうございます。心から嬉しいです
Posted by おっちぃ☆ at 2009年11月12日 20:34
今は、それが当たり前の世の中になっていますね。
ただ、賢くではなくて、狡賢く動いた人が得をする・・・
どうなんでしょう!?
善を持っている人のほうが、逆境に強いのでは・・・・
ノアの箱舟のように
Posted by としですとしです at 2009年11月12日 21:29
洋子様に私が苦しんでいることを話し、その後ほとんど苦しみを忘れているのですが、ときどき思い出しては苦しくなることもあります。なぜこのようなめに遭わなくてはならないのか、考えていましたが、そうなることだったのだ、それは自分の責任ではない、また苦しみから逃れようと努力する一方、ただ耐えることや流れに身を委ねることも、いつか苦しみの意味がわかり、人を許し、自分を許し、喜びが与えられるのではないかと思うようになりました。たとえそれがまだ遠き日であっても。
佐藤氏の随想録を読み、私以上の苦しみを背負っている人のことを忘れてはいけないと戒めました。
貴女の良き師の紹介をありがとうございました。
Posted by MZ at 2009年11月12日 21:46
読ませていただきました。確かにうなずける部分はあります。
自分も、かなり自分なりに苦しんだ時期がありました。
何故自分だけが… そう思い長く悩んだものです。

ですが、今は、最後の一文…
「たとえ、姿を消すことがなかったとしても、その不幸や苦しみは、彼にとって大きく心を乱すようなものとはならなくなる。」という心境です。

今、思うのは…そもそも、不幸や苦しみって、一体なんなのでしょう?
不幸や苦しみとは、何に対して?何かと比較して??
そう感ずるのは、他人や他のモノと比較するからではないでしょうか?
もしくは、自分が想い描く理想の生き方とのギャップをそう感じているのか?
試練というと辛く厳しいものというイメージですが…果たして本当にそうなのでしょうか?

自分に与えられた境遇の中で…
それに逆らわずに、それを受け入れ、それに順応して生きていく。
ただそれだけのことのように思えるようになりました。
Posted by ひよっこひよっこ at 2009年11月13日 00:40
とある人が
「神は恒久な幸せを約束してはいない
試練を乗り越えて成長させるために時に試練を与える」
と言っていました。
なんとなく、理屈はわかりましたが納得は出来ませんでした。
リンク先の記事を読んで、少しだけ納得できました。

でもやっぱり、辛いのは嫌なんですけど…。
私たちは目の前に与えられたものをこなすしかないんですよね。

出来るならば身体がダメになるまで
試練を乗り越えまくって生きてみたいと思います。
Posted by あかり at 2009年11月13日 00:41
おちぃ☆さま、コメントをありがとうございます。そう、純粋で正直に生きている方が、苦しみに遭われていたりすることの不条理を、現場で感じてきました。
周りの人々の無理解だとか、無関心に苦しんでおられる、そのお姿に、私は、「試練を受ける方というのは、神から大きな期待を寄せられておられる方なのですよ」としか、お伝えできませんでした。
おっちぃ☆さまも、勝ち組・負け組み的価値観に疑問をもたれておられるのですね。同感です。
斉藤先生の文章を読んで、ああ、私は日々、「霊的エリート」の方々にお会いしていたのだと、光栄に思いました。
お金に苦労したり、人間関係に悩んだり、いろいろな試練は、その人がそれを受け入れるまでのお試しだったのですね。
すべてを受け入れ、心境を高めていかれる人々が増えていけば、今の世の中のゆがみが、少しずつ良くなっていくのかもしれませんね。そう願います。
おっちぃ☆さま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月13日 03:53
としですさま、コメントをありがとうございます。
私の周りには、狡賢い方は、存在しないのですが、そういう生き方をして、一見、栄えて折られる方々がおられることはうすうす知っていました。
中には、有名なベストセラー作家さんも、そのくくりの中にはいるのかも、と思ったりして、影響が大なだけに、損得だけで物事を判断する風潮を巻きちらさないで欲しいと思っていました。
愚直でも、善をもつ方々が、逆境にはお強いと、私も思います。
でも、確かに苦しい思いをなさらなければならない、ノアが阿呆よばわりされたように・・・。
としですさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月13日 04:02
MZさま、コメントをありがとうございます。MZさまが、お心を私に打ち明けてくださったことは、私にとって、とても光栄なことでした。同時に、そのお苦しみの深さに、ただ、お聞きするしかできない、なんとかしてそれを乗り越える策を提供できない無力を、残念に思っていました。
あの折にも申し上げたかもしれませんが、MZさまは、神様から大きな期待を寄せられておられるから、それゆえのお苦しみなのではないか、と今も思っております。斉藤先生の文章を拝見して、なお、その思いが強くなりました。
MZさま、試練を与えられた時点で、それは、神様から私たち人間が、期待していただいているという、光栄なことであると、思えるようになりたいですね。
MZさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月13日 04:11
ひよっこさま、コメントをありがとうございます。
確かに、試練は、人との比較の中で試練と受け止められてしまうものかもしれません。

「ですが、今は、最後の一文…
「たとえ、姿を消すことがなかったとしても、その不幸や苦しみは、彼にとって大きく心を乱すようなものとはならなくなる。」という心境です。」
いわゆる逆境、試練の最中にあって,そのような境地になられたひよっこさまは、すごいな、と思われてなりません。

「自分に与えられた境遇の中で…
それに逆らわずに、それを受け入れ、それに順応して生きていく。
ただそれだけのことのように思えるようになりました。」
運命を受け入れる、そういう境地になられたひよっこさまは、素晴らしい方だと思います。ひよっこさまに、コメントをいただけて、とても嬉しく光栄です。
ひよっこさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月13日 04:22
あかりさま、コメントをありがとうございます。
「とある人が
「神は恒久な幸せを約束してはいない
試練を乗り越えて成長させるために時に試練を与える」」
そうですね、悟りを開いたような方ならともかく、私たち普通の人間にとって、試練に対して、目の前に迫ってくるものに、その都度、その都度、ひとつひとつ向き合っていくことしか、できないように、私も感じます。
「出来るならば身体がダメになるまで
試練を乗り越えまくって生きてみたいと思います。」
そのお覚悟は素晴らしいですが、心身ともに元気でいてこそ、試練も乗り越えられ、また、周りの方々をお幸せに出来るかと存じます。
くれぐれも、御身お大切に。
あかりさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月13日 04:30
 佐藤さん、先日はありがとうございました。
 気が向いたらまたお出でください。
 佐藤さんのブログを、私の「お気に入り」に添付させていただきましたのでご承知ください。
 なお、斉藤啓一先生のホームページはまだ読んでいませんが、近いうちに読ませていただきますね。
Posted by カフェおやじ at 2009年11月13日 11:37
泣けました。

”なぜ、ワタシだけ?”と思うことも
サイトウ先生の文章を読むと
救われます。

おっしゃる事わかります。

いろいろあって
なんだか最近
”死”についても、
全て自然の摂理として
受け入れようとしている
自分がいます。
以前ほど、怖くない。

でも、実際に自分の身に差し迫ったら
”もっと生きたい”とわめくのでしょうか??
まだ、わかりません。

今は、その時に
”この世に未練はない”と言えるよう
精一杯、ジブンなりに毎日を生きるしか
ないです。

暗くなってすみません。
Posted by さわこ at 2009年11月13日 20:58
お話したとき洋子様が私のために涙を流してくれたことが癒しになっています。ありがとうございます。
Posted by MZ at 2009年11月13日 21:05
「そういう境地になられた…」…残念ながら、なるしかなかっただけです。
生か死かまで自分を追い込んでしまい…後者が選択できなかっただけです。
生きるには…そうするしかなかっただけなんです。
なので、そうなる前に、自分がそれ以上傷つかずに納得のいく解釈方法を見つけられれば、その方が良いと思います。

「たとえ、姿を消すことがなかったとしても、その不幸や苦しみは、彼にとって大きく心を乱すようなものとはならなくなる。」 その心境は…
裏を返すと、物事への執着があまりなくなり、感情が高ぶるような事も無く…
冷静さというより無関心・無感動的な感覚さえ覚えます。
もちろん、今までとは違った感動を覚える事もあるのですが。
それが果たして良いことなのか、素晴らしいことなのか…はなはだ疑問ではります。
Posted by ひよっこひよっこ at 2009年11月13日 23:27
カフェおやじさま、コメントをありがとうございます。
先日は、心安らぐひとときをありがとうございました。
お気に入りにいれていただき、光栄です。
また、カフェ・マイルスさんのどすんと強いコーヒーと、おいしいオードブルをいただきに伺いたいと思っております。
最近は、ローストビーフも始められたのですね。お伺いするのが楽しみです。
カフェおやじさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月15日 05:48
サワコさま、コメントをありがとうございます。
すべてを受け入れる、なかなかできることではないと思います。
ただ、サワコさまのおっしゃるように、最期のときを迎えるそのとき、この世における自分の役目はまっとうできた、未練は無い、という境地でいられたら、素晴らしい人生だったと思えることでしょう。
「精一杯、ジブンなりに毎日を生きるしか
ないです。」
それが一番だと思います。毎日毎日を、悔いなく精一杯生きることが、この世を去るとき、未練を残さず逝けるために大切だと思います。
サワコさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月15日 05:56
MZさま、再びのコメントをありがとうございます。
MZさまのお心を癒すなど、到底、私のような修行中の身では、叶わないことですが、共感能力だけは、少しはついてきているようなので、MZさまのおつらさを自分のこととして感じ、涙がこぼれました。
四面楚歌の状況で歯を食いしばって耐えられた、そのおつらさを、思うと、今でも心が痛みます。
その分を取り戻すべく、これからは、夢や希望を持って生きていきたいものですね。お手伝いできることがあったら、私に出来る範囲でしかして差し上げられませんが、おっしゃってくださいね。
MZさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月15日 06:04
ひよっこさま、再びのコメントをありがとうございます。
生か死か、そこまでお考えだったとは、そして、後者を選ばれなかったことは(選べなかったのではなく、選ばなかったと私は感じました)、やはり、ひよっこさまが、斉藤先生のおっしゃられる「霊的エリート」のお一人だからだと存じます。
私も、二十歳の神秘体験後、うつ状態を長く経験し、また、占いの勉強をしながらのバイト生活で、理解しあえる方となかなか会えず、過去二十数年の間は、「初めから人に期待などするからつらくなるのだ、人と人は分かり合えないと思っていれば、つらくない」と、人間関係における出発点を、そういう否定的な感情でいました。人は一人ぼっちが当たり前だと・・・。
「裏を返すと、物事への執着があまりなくなり、感情が高ぶるような事も無く…
冷静さというより無関心・無感動的な感覚さえ覚えます。」
ひよっこさまの抱えておられる試練に対して、今は、そのような対処をされるのも、無理からぬことと思います。それは、逃げではないと思います。
すべてを受け入れるための準備に入られておられる、過渡期なのではないでしょうか?
ひよっこさまの抱えておられる試練は、並大抵のものではないだけに、それをご自分の中で、納得され、受け入れるのには、いろいろな過程を経る必要あっての、今のご心境なのでは、と思いました。
それを良いことか悪いことか、と分ける必要も無いと思います。
今、静かな心境でいらっしゃること、それこそが、運命をしっかりと受け止めておられる証かと存じます。
私は、まだ修行が足りませんので、もし、見当違いなコメント返しでしたら、ごめんなさい。お心を害されなければ良いけれど、と思いながら書いております。
ひよっこさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月15日 06:36
ありがとうございます。心を害することはありませんので大丈夫です。
すべての出来事は必然であり、乗り越えられる、解決できる事しか起こらないのだと思っていますから…臆することなく進むだけですね。
Posted by ひよっこひよっこ at 2009年11月15日 08:51
ひよっこさま、私の未熟なコメント返しを、寛大なお心で受け止めてくださり、ありがとうございます。
私も、物事に偶然というものはなく、いろいろと起こる事象は必然なのだと思っています。
良いことも悪いことも、ただ、受け入れる、それが、今の私の課題であると思っています。
そもそも、良い、悪いという区分け自体が、不遜な気がします。
禍福はあざなえる縄のごとし、とも言います。いつ幸運と思っていたことが不運の種となり、また、その逆のことが起こるかも判らないのが人の一生です。
ひよっこさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
Posted by 佐藤洋子佐藤洋子 at 2009年11月15日 21:16
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善い人が試練に遭うことについて
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